アカメが斬る! 第17話『呪縛を斬る』

ボルスを倒したチェルシーがクロメに倒されたお話。
前半のレオーネには(切り落とされた腕に)あからさまな画面規制が入っておりまして「なんだかなぁ」と考えていたのですが、後半チェルシーの首が広場に掲げられていたシーンでは上手く誤魔化しておりまして、「やればできるじゃん」と感心していたのですが、前回同様ニコ動で確認したところモロだったことに驚かされました。
本来の画面とは違ってはいたのですが、カメラワークと編集で前後を見せたことで「そこに何が描かれていたのか」はテレビ版でも十分理解出来ましたので、やはり「やればできるじゃん」という評価には変わりはなく。
何度も書きますがモロが見たいのではなく、演出家の本来意図した画面を光らせたり黒く塗りつぶしたりすることが許せないだけでして、今回のような処理に仕方であれば、少なくとも私に不満はございませんし、これが演出が仕事したというものではないでしょうかね。
クロメやボルス、そしてチェルシーの背景が描かれておりましたが、こういった描き方を致しますと対立する双方に事情があり正義があると見えてしまいまして、果たしてそれはこの作品に必要なのかと疑問も。
と申しますのはそれぞれの主張を相対化することで人物描写は奥行きを増すのですが、一方で視聴している者といたしましては作品に没頭して共感する事を拒絶されているように感じてしまうのでございます。
元々残虐で不公正な現政権を民に代わって討ち果たすと言った内容でしたからナイトレイドたちに共感できていたのですが、こうなりますとそう単純にはまいりませんで、それではこの作品のどこに爽快さを求めれば良いのかが分からなくなってしまいましてねぇ。
そういう作品じゃないと言われればそれまでなのですが、残虐な描写も次々と斃れる人間たちもその爽快さを盛り上げるためと認知していたものですから、今の展開はどうしたものかと。