魔法の天使クリーミィマミ 第52話(終)『ファイナルステージ』

嵐の中マミのファイナルステージが始まり優は完全燃焼を目指していたが、最後の曲を歌う直前フェザースターの方舟が到着して、という最終回。
ラストカットを観た時「あれ。青空のシーンで終わったんじゃなかったっけ?」と記憶の美化を思い知らされることになりましたが、…最近の記憶も怪しい中で30年前の記憶ですから当然なのかもしれません(笑)
ただそのラストカットから後日譚を一枚絵で見せたセピア色の特殊EDの素晴らしさが記憶を改竄させた原因のようでして、素晴らしい最終回でございました。
作画も演出も「渾身」といった感じでございまして、確かに今の基準で判断すればどうということもないレベルなのですが、30年前の状況を考えますと最高点を上げても差し支えのないレベルのそれだったのではなかったかと。
ここまでの感想で色々と不満を書いてまいりましたが、作品を時代というものを考慮しないで映像作品としてだけ見ての感想であれば間違っているとは考えておりませんが、果たしてそれが正しい行為なのかと自問いたしますと正しくはないと答える外はございません。
作画の技術的進歩や使用する道具や機材の変化(この時代で当然だったセルはもうございませんからね)、さらに絵柄の好みなどは「その時代の風俗」を確実に反映しておりますので切り離して語るのは危険な行為かと存じます。
これが語られている物語や手法がいかに古くても、そこに人間がいる以上時代が違っても大きな違いを感じない実写との最大の違いなのかもしれません。
魔法が消えて物語も消える。
優は魔法を失ってもそれほど落ち込んではおりませんでしたが、多分作品の中で魔法の力で得をしたと感じていなかったからではないでしょうか。一貫して魔法で安易に事態の打開を図ってこなかった構成もそういう意図があったのかもしれません。
優は変身して歌を歌っただけのこと。それは普通の女の子でも舞台に立てば経験できることの延長でしかございませんし、「魔法少女」としての「特典」を極力排していたところが、この「時代」の魔法少女ものだったのかもしれませんね。
そして優には俊夫がいてくれるだけで十分だったからネガとポジとの別れも魔法との決別も悲しまないで済んだようでございまして、EDで描かれた未来の二人の幸せな様子が爽やかな印象を残してくれたようでございます。
…30年か、優も40歳になって立派なおっかさんになっているんでしょうねぇ(笑)