あの日見た花の名前を僕達はまだ知らない。 第5話『トンネル』

「ゆきあつ」の慟哭と「ぽっぽ」の(よかれと思っての)お節介で「めんま」が泣いたお話。
…そしておっさんもまた泣いた。・゚・(ノД`)・゚・。
身近な人間に死なれるというのは、それが病死や自然死であっても少なからずショックでございますが、それが突然の事故死であればその衝撃は想像に難くありません。…おっさんも長生きしておりますのでそういった場面に出くわした事も何度かございますので。
大人であれば、そうした事への対処法もそれなりにございまししょうが、子供の「ゆきあつ」が大好きだった「めんま」の死から受けた「痛み」を和らげる術などなかったという事なんでしょうね。まして「めんま」の死に責任を感じてしっていれば尚更でございましょう。
その上、渡せなかった(拒絶された?)髪留めが「ゆきあつ」の心を過去に縛り付けて放してくれない、と。救われないお話でございます。
ただ、誰かにその苦しみ(の片鱗)を知ってもらった事で「ゆきあつ」の心は幾分軽くなったようで、後半部で窮地(?)の「あなる」を救った時の彼の顔が和らいで見えたのは錯覚ではなかったですし、その辺の変化を「ゆきあつ」の表情の変化で見せた演出と作画は見事でございますね。
「ぽっぽ」の言動は「生きている」人間としては至極当然のものでございまして、私も「どうしたらめんまを成仏させてあげられるのだろう?」と考えたのですが、それは生きている人間の思い上がりでしかないことを「めんま」の涙が表現していたのではないでしょうか。
何かをしてもらいたくて「ここ」に居る訳ではない。ただ一緒に居たいだけなんだ。昔のように仲間たちとお話をしたり笑ったり喧嘩をしたり…、生きていれば今でもしていた事を出来ない辛さ。それがあの「めんま」の涙の正体なのかもしれません。
今回は「じんたん」の焦燥も描かれておりましたが、本作に登場しているキャラは生きている人間も死んでいる(「いる」って書き方はおかしいですが)人間も「傷」を抱え込んで進むべき方向を見失っている状態のようでございます。
彼らの魂が救われますように。