こばと。第二十四(終)話『あした来る日・・・。』

最終回はもう3回観返しました、バカ?(笑)
 最終回だけタイトルの三点リーダーが後に来たのは、小鳩の旅が終わり、その余韻の意味を込めてあるからという解釈でOK?
 去って行った小鳩のことを忘れていた藤本だったが、得体の知れない「喪失感」に襲われていた。そんなある日、取り込んだ洗濯物からあの日飛び散った小鳩の欠片が落ち、藤本は全てを思い出した。街中を駆け回り小鳩と知り合った人々に彼女のことを聞きまわるのだが、誰も小鳩のことを覚えてはいなかった。
 ふと気がつくと、藤本は琥珀の家の前に辿り着いていた。そして琥珀から小鳩の「願い」の話を聞かされるのだった、というお話でした。
 小鳩の「こんぺいとう」集めは前回完了していたけれど、「願いが変わったから」藤本の元へ留まっていることが出来なかったのかと思っておりましたが、四年の月日とお互がお互いを求める気持ちが必要だったという事なんでしょうねぇ。
 藤本が光も届かない暗い室内を歩くシーンは、小鳩という光を失くして過ごした四年の月日を表現していたのでしょうし、開け放った窓から差し込む光に照らされたピアノを弾くシーンは、前々回絶望に沈み鳴らないオルガンを弾いた藤本との対比なのでしょうね。良いシーンでした。
 そして決して上手いとは思えない花澤・小鳩・香菜さんが歌う「あした来る日」でしたが、その不安定さだからこそ「想い」のようなものが伝わるのだと思いました。・・・上手けりゃ良いってものでもないってことですね。
 予想通り、約束されたハッピーエンドではございましたが、この最終週二話連続放送と、一連の話の持って行き方で不覚にもウルウルしてしまったことは内緒です。監修と監督が連続して演出すれば二話だけで泣かせられるということですか、降参。
まとめ
 「こんぺいとう」という仕掛けがありながら、これが有効に使われていたかと考えますと不発だったでしょうか。もちろん単に時間制限としては意味はありましたが、であれば「癒し」などといった曖昧なものではなく、「人助け」のような分かりやすい行動に対してのご褒美にしておいた方が良かったかもしれません。
 ただ、わりきれない人の心を直接的なもので表現してしまいますと、この作品の「味」そのものを殺してしまったでしょうから、そこは難しい判断だったと思うのではありますが。
 次に、小鳩の運命の人が藤本だったのなら、当初からもう少しそれらしい描写が欲しかったかもしれません。まあその辺は人物配置の段階で予定調和ではございますが、それと「匂わせる」というのは全然別の問題だと思いますので、そういうところにも気配りがあったらな〜、と。
 「時空を超える愛」と申しましょうか「永遠の愛」というものを、「今」という「一瞬」と対比しながら描きたかったのだと思いますし、それはある程度成功していたと感じておりますが、全体的に「ふくらみ」に欠けていたようにみえました。
 一話一話のエピソードと、全体を通しての物語との融合がもう少し活きていたなら、小鳩の物語はもっと彩り溢れたものになったのではなかったか。それが残念だったと言えば残念。まあでも、あまり風呂敷を広げすぎて畳めなくなるくらいなら、これぐらいコンパクトにまとめていた方が良かったのも事実かと。
 来週の月曜日からは教育テレビで放送されるそうなので、再確認も含めてもう一度視聴することにいたします。