蟲師 第24話『篝野行』

 今回も視点を少し変えたお話。色々バリエーションがあるものだと感心いたしました。
 ギンコともうひとり、村付きの蟲師「野萩」が「陰火(かげび」)と呼ばれる蟲に対しての対処方法について対立するお話でして、ここでは「異形」として蟲が象徴的に扱われておりましたが、これは人の世界では普遍的な問題、「融和」と「排除」といった問題についての原作者の考察のように感じられました。
 このお話では「蟲」について「人に危害が及ぶから」早急に排除しようとする「野萩」と、「拙速は謹んで」お互いが干渉しない方法を探すべきだというギンコが描かれておりました。「野萩」は決してギンコが指摘したように拙速で事を決めた訳ではなく、村の作物への影響、その結果として飢えて死ぬ村人を思いやむを得ず断を下したに過ぎません。彼女にもう少し時間があればギンコのような道をとったことは作中から読み取れます。しかし彼女には時間がなくそうせざるを得ませんでした。
 理想としてはギンコの言い分が正しいと思うのですが、ではいざ自分がその立場になったとしたらその「正しさ」を貫けるかと問われますと自信は全くございません。・・・いえ、多分「野萩」の下した判断に同調すると思います。人はそんなに強くはありませんから。
 で、これが「蟲」という曖昧模糊としたものではなく「自分の理解が及ばない他者」に置き換えるとどうでしょう? より危険でより激しい感情の爆発につながらないと言えるでしょうか? この時最初にすべきことは「他者を理解すること」であり、そのために必要なことは作中ギンコが言った「智慧」なのでしょう。
 「(恐れたり、力で排除するようなことは)猿と同じだ!」「人ならば智慧を使え!」というギンコの叫びは「野萩」や「村人」を通り越してこの作品を観ている全ての者に向けられていたのかもしれません。