蟲師 第22話『沖つ宮』

 前回の「母子」とはまた違う、別の角度から描かれた「母子」のお話。簡単に書きますと「輪廻」がテーマだったのですが、さすが「蟲師」でございまして、否定的にも肯定的にも描かれてはおりませんでした。「自然体」、多分この言葉が一番合っているかと。
 愛する者を喪う辛さに耐えられない者、愛する者を残して逝ってしまうことに耐えられない者。双方が合意の上で「竜宮」に沈み「ウミナオシ」という儀式で生まれ変わる。本来「生」というものは受け渡しされ続いていくものですが、この島では「循環」している。閉ざされた環ですね。不毛です。ですが当事者の悲しみも分かるからギンコは何もしません。彼はあくまで不思議な現象とそれを引き起こす蟲を観察に来ただけだから、島民が幸せなら(そして蟲が人に害を及ぼしていないのなら)なにもしないといういつものスタンスでございました。
 今回のキモは「生まれ変わった人は前と同じ者なのか?」でございました。う〜ん、難しい問題でございます。記憶を受け継ぐわけでもありませんし「人は自分で自分を作って行く」としますと、それは別の人間と考えてもかまわないわけです。ですが作中に登場する島民たちはそれ(生まれ変わり)を受け入れて暮している。さも当然のように。
 答えがあるような無いような事柄を一刀両断したのがこのエピソードの主人公「澪」と「イサナ」母子でした。
「生きた全部を誰かにあげるくらいなら、母さんのまま死んでしまうほうがまだいい」
 この台詞は死んだら全てが終わる訳ではなく、色んなものが次世代に繋がる。そのためには正しく死ぬことが必要なのだと解釈いたしました。違うかもしれませんが(笑) 観る人、観た時代によって異なった解釈ができる作品というのは「良作」だと信じておりますので、本作は間違いなく「良作」でございます。・・・私にとっては。
 そして今回も美しく描かれた「海」「空」「闇」が作品を引き締めておりました。