COWBOY BEBOP『リアル・フォーク・ブルース(前・後編)』
男はすべてを失いすべてを終わらさるために死地にその身を投じた。すべてが終わったとき男の顔には笑みだけが残った。
・・・ハードボイルドでは往々にして主人公が死んでしまうことがありますが、死ぬことに意味はありません。どう生きたか、それが問題なのであるということは以前にも書きました。ただ、過去に囚われ過去から逃れることができず、その清算のために死地に赴くという行動はハードボイルドの主人公*1としては褒められた理由ではありません。
スパイクが過去を振り切り明日を歩くためには必要な戦いであったという描写があれば素直に拍手喝采できたのですが、そこがこの作品を全肯定できない、と申しましょうか「したくない」理由であります。フェイに「一方の眼(義眼の方でしょうか)で過去を見て、もう一方で現在を見ている」と告白したシーンで「ああ、結局スパイクは未来を見ようとはしなかったのだ」と落胆いたしました。(見ることができなかったのかもしれませんが)
結果的に「死」が避けられなかったとしても、その場に臨む姿勢としてこの差は埋めがたいものがございます。明日のために(必ずしも自分の明日である必要はありません。誰の明日でいいのです)戦うのがAF*2の主人公であって、過去の因縁に殉じて死んでしまうスパイクは悲しすぎるのであります。
ただ、昔観たときも今回もスパイクは死んだと思っているのですが、中盤ジェットが訪ねた占い師の老人が「命が消えるとき、星は流れ消え行く」と発言していたのですが、ラストシーンで確かに星は消えたのですが「流れ」てはいないのですよね。ひょっとしてスパイクの命は消えかかっているが、まだ死んではいないという解釈もありなのでしょうか。
YOU'RE GONNA CARRY THAT WEIGHT.
このメッセージが視聴者に向けられているのでしたら、スパイクが重荷を背負ってもう一度我々の前に姿を現してもらいたいものでございます。