電脳コイル『かなえられた願い』

ヌルたちによると、彼らは苦しみの種を食べるうちに、苦しみを求める生き物としての命を得たそうです。
冒頭はダイチの逃走劇から「しょんべん ちびりそう!」「しょんべん ちびった!」の伝言ゲーム(違う!)で一笑いを誘ってからシリアスな展開に突入と、相変わらずの演出の冴えを見せていただきました。
悪役・猫目宗助がついに自ら動き出した回でしたが、今回はイサコの痛々しく悲しい台詞が印象的でした。

「私には友だちというものが、良く分からないから」
「でもこんなに近くまで来てくれた他人はお前が始めてだ。・・・でもやはり私が住む世界は、進む道が違うんだ」
「人と人の間には距離がある、遠い距離が・・・。私と兄さんの間にも」
「でも、ゆっくりと丁寧に探せば隔たりをつなぐ道がみつかるのかもしれない。その道はすごく細くて、ちょっと目を逸らすとすぐに見失ってしまう。だから必死に目を凝らして探さなくちゃいけないんだ」
「道があることを信じられなくなったら、その道はなくなってしまうかもしれない。だから必ず道はあると信じ続けなくちゃならないんだ」
「メガネで見えるものなんて全てがまやかしだ。もうメガネなんて捨てろ!そして手で触れられるものだけを信じるんだ。・・・さもないと私のようにメガネに殺されるぞ!」

・・・ここにイサコの悲しさが凝縮されていると思います。そして罠があることを承知していながら「友だち」のために「死地」に赴くイサコの格好良さは、小学6年生の女の子のそれではありません。「君はマーティン・ファロン*1か!」と心の中で叫ばずにはいられませんでした。デンスケも最後の力を振り絞ってヤサコを守ったりとなかなか涙を誘う展開でした、地味なんですけれども。
表題の「かなえられた」は兄と会いたいというイサコの願いのことなのでしょうが、こんな形の再開(会えてはいないのですけれど、ね)はイサコの願いではありません。なんという皮肉なタイトルなんでしょう・・・。

*1:ジャック・ヒギンズというイギリスの作家が書いたハード・ボイルドの最高傑作「死にゆく者への祈り」の主人公の名前。過去ミッキー・ロークが演じた映画があるが、小説のファンの間ではアレはなかった事になっている