蒼き鋼のアルペジオ -アルス・ノヴァ- #12(終)『航路を拓く力』

401の進路を塞ぐ霧のアメリカ太平洋艦隊を一撃で壊滅させた大戦艦コンゴウ、彼女と戦いたくないイオナは概念伝達を拒否するコンゴウの艦上へ単身乗り込むのだった、という最終回。
「妄執」という奴は人が患うものの中でも一番悲しい病ではないかと考えておりまして、なぜなら誰の助言にも心が動かされることもなく、むしろ外からの声が更に自分だけの世界に閉じこもってしまう要因になる厄介極まりないものだからでございます。
一切の交流を絶ち自分だけの世界を延々と歩き回る。これ以上哀しい思考状態はございませんが、実に人間臭い思考だとも言えます。
一方でコンピュータなどがプログラムの異常で深刻なエラーに陥っている状態もこれと似ていると考えますと、機械以上人間未満の彼女たちが陥りやすい「場所」なのかもしれません。
そこから抜け出すための第一歩は他者へ心を開くことなのかもしれませんが、口で言うほど簡単なことではないでしょうし、なにより助ける側も相当な覚悟が求められるわけでして、イオナがそれを決意する原動力は多分「愛」といったこれまた実に掴みどころもなく人間臭いものだったのでしょう。
作中クレジットされていたゴーギャンの作品タイトル「われわれはどこから来たのか われわれは何者か われわれはどこへ行くのか」の岸監督の答えは「人は愛を知るために生まれてきた」というものだったのではないかというのが私の答えでございます(笑)
この作品を視聴開始した当初は3全編Dモデルによるアニメというのは海戦シーンのため(一度モデリングしてしまえば如何様にも使え、そして乱れることもない画を提供できますからね)と考えたのですが、実は人の描く絵よりも無機質に見えるキャラの絵が欲しかったのかもしれません。
最初は「お人形」としての絵が必要で、次第に絵に表情が生まれ「人間」へと変わって行く過程を見せるために3DのCGが必要だったんじゃないでしょうか。
この短いシリーズで初回と最終回で絵の表現が劇的に向上したとは考えておりませんが、そこは日本人の素晴らしいところ(笑)でございまして、「見立て」ることでCGのノッペリとした絵に表情を見つけることができました。…もっともこれはそういう方向へ誘導した岸監督や各話スタッフの力量も大きいと思いますが。
EDで繋がりそうで繋がらない指先が最終回でしっかりと握り合っておりまして、物語としては全く終わってはおりませんでしたが岸監督の意図としてはこれで十分だったようでございます。
12話で何でもかんでも描こうとしてもそれは無理な相談でして、やはり取捨選択は必要ですしこの作品は上手く処理できたような気がしております。
最後までユーモアも忘れられておりませんでしたし、実に楽しい作品でございました。