夏雪ランデブー 第11話(終)

島尾は葉月に体を返して、葉月は六花にプロポーズしたお話。
やはり死者ではなく生者が勝ち残りましたか。もっとも何をもって「勝ち」とするかは意見の分かれるところでございますが。
しかしつくづく「愛」は「呪い」なのだなぁと、この作品を観ていて考えさせられました。
実は三人とも愛という名の「呪い」に囚われていたということでは同じだったのですが、死者はその「呪い(愛)」を糧にしか生きられないのに対して、生者の二人は新しい「呪い」を作り出すことで生者として存在し続けられたのでございましょう。
終わった呪いと新しい呪い。
結局島尾くんは呪いから解放される事なく葉月と六花が死んでもこの世にとどまり続けておりましたが、さてあのラストシーンはどう解釈したものでしょうか?
自分の孫(?)に生前の記憶を止めていた品の整理を頼んで成仏できたのか、それとも新しい「呪い」を探して今日もどこかに浮かんでいるのでしょうか。
お伽話を物語の重要な位置に据えておきながら、お伽話的オチを拒絶したかのような終わり方に、女性作家のリアリティを感じたのでございました。