戦姫絶唱シンフォギア EPISODE6『兆しの行方は』

デュランダルを上手く扱えない響の苦悩と、響の驚異的な成長に焦るクリスが再び戦うことになったのだが、というお話。
やっていることは至極真っ当な特撮ヒーロー路線でございまして、突然戦う事になった主人公の苦悩ですとか、死んだ仲間を引きずっている同僚、戦う事の意味を探す敵など、面白くなる要素は積み込み過ぎなわけですが(笑)
この作品を視聴する前に「アクエリオン」を視聴しているので自然と比較することになってしまうのですが、同じように「音楽」が重要な要素として使われているのに、そして本作の方がより重い位置を占めているはずなのに(歌う事で「シンフォギアシステムを起動できるという設定ですから)、音楽の使い方では「アクエリオン」の方が優れていると感じるのはどう考えても問題がありますよね?
曲そのものの優劣を書いているのではございません。問題はそこへ至る盛り上げ方でございまして、…これ先週の感想でも書いたな(笑)
事前に内容を精査して本当に描きたい事を絞る必要があったような気が致します…、そうすれば物語に余裕も生まれ、見せ方も工夫できたと思うのですが。