あの日見た花の名前を僕達はまだ知らない。 第6話『わすれてわすれないで』

めんま」の願いを知るために「じんたん」「あなる」「ぽっぽ」の三人は「めんま」の家に行き母親と会う。帰ってきた「じんたん」はそのことを「めんま」に教えると、「めんま」は涙を流して怒り出すのだった、というお話。
母親には「忘れて欲しい」でも「じんたん」たちには「忘れて欲しくない」といった相反する願いの前に困惑する「じんたん」でございましたが、その違いはなに?とおっさんも困惑いたしました(笑)
でも本当は母親にも忘れて欲しくないけれど、仏壇の前の母親の姿を見てしまった「めんま」の優しさが「忘れて」という願いになったのだと納得。
と同時に、「めんま」が死んだときから成長していないといった設定を考慮した、子供らしい理不尽な反応であるところに感心いたしました。「じんたん」が「自分の事を考えろ!」と怒鳴った直後に鼻血を出し、それまでの空気を考えないでティッシュを差し出すところを含めまして。
会いたいだろうしお喋りもしたいだろうけど、死んでしまった事実は変わらない。会ったところで悲しみは消え去らないという事を幼い「めんま」が考えている哀しさ。
今週も泣いた(笑)
でもそうしたシーンのすぐ後に「じんたん」の鼻血シーンや、遠慮のなくなった「あなる」とのシーンを用意して、必要以上に重たくならないような配慮が嬉しい。
そうなんですよね、この作品は悲しいことではあるけれど、それだけではなくて嬉しい事も描いている訳なのですから。死んでしまった昔の友だちが会いに来てくれたことが悲しいだけのはずがないのですから。