へうげもの 第十話『哀(かな)しみの天主』

信長の死と、その直後のお話。
まあ毎回冒頭で「この作品はフィクションにて候」と断ってございますが、それはこういう時のためなんでしょうねぇ(笑)
焼け落ちた本能寺で主君の安否を確かめる訳でも、またその遺体を探すでもなく。ただただ己の物欲に正直に信長所有の「お宝」を探す左介と長益の姿に、オタクとしての業の深さを見せられて爆笑でございました。
現代の人間からしてみますと、確かに文化的にも金銭的にも価値があって「所有するに足るもの」ではございますが、それは「権威」というものが後ろ盾になっているからでしょうし、なにより当時の「茶道具」は武家にとっての「箔付け」の意味もあったからあんなに必死にと見れないこともないのですが、左介や長益の場合は純粋に「自分の価値観・美意識」に誘われての「物欲」に見えますので、それは現代のオタクたちのソレとなんら変わりはないんでしょうねぇ。
彼らの生き様は自分の欲望に正直でございまして、だからこそ滑稽に見えるのではないでしょうか?…「物」に向かう左介と「思想」に向かう宗易は「欲望」という点で根は一緒なのに、一方は可笑しくもう一方は恐ろしく見えてしまう不思議さが楽しゅうございます。