放浪息子 #10『10+11〜Better half〜』 #11(終)『放浪息子はどこまでも〜Wandering son’s progress〜』

何が変わるでも 変わらないでもなく始まってゆく大江千里「MAN ON THE EARTH」)
視聴直後に頭に浮かんだのが上のフレーズでございました。…一時期狂ったようにセンちゃん聴いていおりましたからねぇ(笑)
本作は二鳥くんの伸びた髪と声変わりと共に幕を閉じました。
「変わらないもの」「変わって行くもの」「変わってはいけないもの」
そして
「変わらない事で得られるものと喪うもの」「変わった事で得られるものと喪うもの」「それでも変えてはいけないもの」
本作で描かれていたものはそういうものだったと思います。
少年少女は意識するしないは別として毎日「選択」を迫られます。必ずしも良い結果ばかりとは限りませんが、それでも前に進まざるを得ない以上それは避けて通る事の出来ないものでございましょう。
10話で二鳥くんは土居くんに「嫌いだ!」と宣言してしまいますが、その結果彼との距離は確実に縮んでおりました。踏み出すことで変わる「何か」がここに集約されていたように見えました。
二鳥くんが女装して登校した事も一時的には波紋を呼びましたが、さて、その結果がどうなるかはこの作品内で全てが描ききれてはおりませんでした。が、その「兆し」だけは描かれていたように思います。
それで十分でございましょう。
本作の原作は結構な分量がございますし、それに対して放送時間(1話の分量も、シリーズとしての尺も)は通常より短いものしか用意されておりません。
であれば「何を描いて何を切るのか」といった選択がここでもなされた事でございましょう。確かに「販促」として割り切って作ることも「アリ」ではございますが、一番大事なことは「アニメ作品として成立させること」だと監督の「あおきえい」さんと構成脚本の「岡田麿里」さんは判断されたのだと思います。
二鳥くんは色々な事を選択して、今ここにいる。声変わりという一大事の後にも毎日毎日選んだり捨てたりしながら前に進む。
無数の選択肢の中からなにかひとつを選んだのは二鳥くんだけではなく、スタッフ各位も同様だということでございますね。
物語はここで「おしまい」でございますが、二鳥くんたちの「未来」はここからが本当のスタートだと舞台の上の一歩でそれを表現しておりました。まだまだスタッフには描きたいことがあったでしょうが、作品としては見事な完結でございまして、「アニメ作品」として立派に成立しておりました。
何が変わるでも 変わらないでもなく でも変わらないものなどどこにもない
「変わった先」を夢想することを許された鮮やかな幕引きでございました。