フラクタル EPISODE01『出会い』

なるべく「予断」を排して新作には接したいものですから可能な限り努力はしたのですが、この情報化(死語)された時代におきまして、約1か月間も本作の情報や評判を完全に遮断しておくことなど不可能でございました。
で、断片的に読んだ記事からはネガティヴなものしか読み取れませんでしたし、そうでなかった方々は早々に見切りをつけておりまして、そうなりますと「怖いもの見たさ」という別の視聴意欲が湧いてくるから不思議です(笑)
仮にさまざまな情報が事前に入っていなかったとしても、少なくともアニメファンであればこの初回が色々な作品(主に宮崎監督作品)の寄せ集めであることはすぐ分かる。いや、作っている方だって絶対分かってやっているんでしょうから、そこはどうでもいいか(笑)
むしろ最近流行の「炎上マーケティング」としてあえてそういう作りにしたのではないかと考えれば、それはそれで成功していたのではないでしょうか。…多分違うとは思うのですけどね。
冒険活劇だとすれば
ただ本作が見た通りの「冒険活劇」を指向しているのかどうかは現時点では不明なのですが、仮にそうであったとして、だからこそ「借り物」であってもああいった表現をしたとしたと仮定すれば。
一番借りてこなければならなかったのは「そこ」じゃないような気が致しました。この「熱死」したかのような世界で、「空から降ってきた少女」をこれから守るために戦う「主人公」に必要なものは、何事にも屈しない、そして溢れんばかりの生命力でしょうし、そこを借りてこないでどうする、と。
未来少年コナン」の第1話冒頭で見せていただいたコナンの常人離れした運動能力。あれだけで「ああ、この子は何があっても大丈夫」といった説得力を見せておりましたし、「ラピュタ」において大人に混じって炭鉱で働くことで逞しさを、空から降ってきたシータを抱きかかえる力強さをみせたパズーにも「冒険者」としての「資格」を見て取ることができました。
「今風」と言えば聞こえは良いのですが、メカが大好きな少年だけにしか見えない「紹介」では、この世界を、この冒険を全うできるのか実に不安でございました。
それにですね、女の子と二人きりで星空を眺めている最中に眠ってしまうってのは、それだけで主人公にあるまじき振る舞いだと思うのですが(笑)
冒険活劇の導入部だけを借りて別の物語を語ろうとしているのなら
多分そういうことなのだと考えておりますが、それならもう少し上手くカモフラージュしていただきたかったでしょうか。
いえ、そうであるなら一層目新しい、胸躍るような活劇で開幕した方が宜しかったかと存じます。引き付けて作品の世界に誘う。そういう仕掛けであれば尚更、ああしたパロディ仕立てはマイナスにしかならないと思うのですけどねぇ。
「オリジナル」であり「少年を主人公とした冒険」と、最近では絶滅危惧種扱いの作品に(今のところ)見えましたので期待はしたいのですが、「世界」や「設定」にばかり凝るようですと、う〜ん。