屍鬼 #20『第腐汰悼話』

大虐殺続き。
屍鬼となった友人知人肉親を「狩る」ところまでは、「怖い」といってもそこに滑稽さや哀れさというものが内包されておりました。彼らはつい最近まで「生きて」いたけれど、この瞬間には公的にも法的にも「死人」に他ならず、「殺した」ところで世間的には誰からも責められるものではございません。
「二度殺す」と申しましょうか、死んでいた者を再び墓に戻すために、いえ戻さなければならに事に自分たちの「生」が懸かっている状況。創作として「こちら側」にいる私にとりましてこれほど滑稽なことはございません。
ところが作者はここから人間の本性を暴き立てます。追い詰められた彼らは屍鬼に操られていた者、すなわち「生者」をも殺してしまう。これはもう「滑稽」というものではなく「狂気」でしかございません。
罪悪感も理性もなくしてただただ殺戮に酔いしれて行く、と。
そこにはもう「哀れさ」「滑稽さ」は存在せず。ただただ恐ろしい描写が続いておりました。
さて、狩る者と狩られる者の間にもルールはございます。狩る側は生きるために喰らう、結果的に命を奪う事になるが殺すことが目的ではない。狩られる側は「えさ」になるために生まれた訳ではない。だから反撃のために相手の命を奪うことは許される。
…う〜ん、上記の条件を満たすには「屍鬼」と言いますか沙子は無意味な「殺し」をしちゃったでしょうか?と申しますか、屍鬼たちが徹頭徹尾「喰う」ためだけに人を襲わせるようなお話の方が良かったような気がしてまいりました。
ここへきて「生きたかったから殺しただけ」と沙子が語っておりましたが、であれば「殺すこと」にたいしてもう少し真摯かつ罪悪感を前面に押し出していただきたかったかなぁ。
力関係が逆転してからしをらしくなられましても、「なんだかなぁ」としか思えないのでございました。