かみちゅ!第2話『神様お願い』

今週も手抜き更新(笑)以下2008年10月3日の再掲

ゆりえの「心の友」祀の実家来福神社の専属の神様・八島様が3ヶ月前から家出中だったことが発覚。ゆりえは八島様を探しているうちに神さまたちの国へ行くことになった。

良質な作画も、美しく丁寧に描かれた背景美術も、作品を魅力的に伝えるための手段であって目的ではございません。いや、アニメーションによっては動かすことが目的の作品もございますから、この国のTVアニメでは、といったところでしょうか。少なくとも30分のシリーズ物であれば間違っているとは思いません。
だからといって全ての作品がそうでなければいけない、という事でもないと思います。伝えたい内容によっては関係各位が適正な品質を選ばれても一向に差し支えはないと思いますが、残念なことに現状では「金銭」が先行して品質が決定しているように見えてしまいます。現場で頑張っておられるだろうスタッフの方々に思いを馳せますと、なんともやるせない気持ちがこみ上げてまいります。…本作と関係ないお話はやめます(笑)
ゆりえが何故神様になったのか、その能力(神様の使う力ですから神通力なのかなぁ)はどのようなものか(とりあえず風は操れるようですが)、全く説明はございませんでした! その潔さは賞賛に値しますね(笑) 
「神様」になってもゆりえは中学生で、性格はなにも変わらない。特に神様になったメリットは感じられませんし(むしろデメリットの方があるような…)、それなら素直に「少し昔の田舎に住む中学生の女の子の日常」でも構わないのではとも思ったのですが、しかし神様になったことで昨日までは見ることの出来なかった「少し不思議な世界」をゆりえへ見せることことで、改めて日常の楽しさや美しさ素晴らしさを感じさせたかったのだと思うに至りました。
そうなりますと「日常」と「非日常」のバランスの取り方が大変難しいところなのですが、監督の舛成孝二さんと脚本の倉田英之さんのどちらの腕によるところかは分かりかねますが、「ゆりえ」と「ゆりえ様」の間にある垣根の高さが絶妙でございます。一歩間違うと陳腐になってしまうであろう世界を飄々と描いたこの作品に出会えた幸せを噛み締めつつ、以下次回。
以上再掲分
といった感想を2年3か月前に書いていたようです、…全然記憶にございません(笑)
今日視聴していて改めて思ったことは本作に登場する神様は極めて日本的だったんだなぁ、という事でございました。西洋的な絶対的な強さを持った神様ではなく(もっともギリシャローマ神話の神様や、土着の信仰に根差した神様はそうじゃないのですが)弱さや不安を抱えた実に人間臭い神様として描かれていたのですね。
それと、イメージとしてはもっと「萌え」寄りの絵だったと思い込んでおりましたが、今日視聴しておりますと最近の「記号化した萌え絵」よりもう少し「生々しい絵」に見えました。当時(放送時)はこの絵柄でも「萌え絵」だったのか、今となっては知る由もございませんが。