けいおん!! 番外編(終)『訪問!』

正真正銘の最終回。三話の「心霊写真」をここで回収するスタッフの律義さに惚れる(笑)
視聴していた感じたのですが、作品としてはこちらの方が最終回として相応しかったのでは?という事でございました。特に梓と憂と純が演奏する「ふわふわ時間」で唯たちを送るラストシーンは、送る側と送られる側の様々な感情を音楽に乗せて伝えていた見事なシーンでございました。
ただ、「据わりが良い」けれど作品として完結させるためにはどうしても「卒業」が必要と原作者やスタッフが考えたのでしょう。唯たちにとっての「ふわふわ時間」は終わり、梓たちの「ふわふわ時間」はまだ終わらないという意味で。
ここにきて梓に新しいバンドメンバーが出来て希望が見えたりしたことですとか、唯たちが同じ大学に進んだ事を「あまりにも予定調和ではないか?」と考えたこともあるのですが、それこそが見たかった結末なのだと考え直しました。
この作品には「大人」が登場いたしません。そろどころか「家族」も登場しないのです。*1…登場しないと申しますか、物語に「関与」しないと書けばいいのかな?
例えば進路問題で家族の存在は重要な要素だと考えるのですが、この作品ではそれが全く描かれておりませんでした。そういえば「けいおん!」では唯の両親と紬の父親が少しだけ登場(アレを登場と書いていいのかどうか…)いたしましたが、「けいおん!!」では全く登場しなくなりました。
それはこの作品が社会と隔絶した世界の物語で、一種のファンタジーとして成立していたからかと。
争いもなく喧騒もなく穏やかに流れる永遠と感じる時間の中で乙女たちが見る夢の世界。だから「社会」の象徴である「大人」が登場することもなかったと考えるに至りました。
そんな「世界」で誰かが不幸になる結末を見たいと思うほど私は「S」ではございません(笑)ので、笑いながら過ごした学校を駆け抜けて行く唯たちの姿、そんな彼女たちの背中を押すような演奏をする梓たち以外の結末なんて見たくありませんよ!(笑)
予定調和の心地良さに身を任せる。その結果得られる心の平穏こそが、私にとりましてこの作品の魅力であったのかもしれません。
ああ、来週からは同じ時間になっても彼女たちの姿を見ることが出来ないのだと考えますと、この喪失感は何で埋めればいいのでしょうか。
作品内の登場人物たちの未来を感じさせつつ、綺麗に風呂敷を畳んだ良い最終回でございました。
…えっ?「けいおん!」の劇場版!…田舎じゃ上映されそうもございませんので、BD待ちですね。でも「けいおん!!」でも「けいおん!!!」でもなくて「けいおん!」ということは、描かれなかったどの辺を映画にするのかなぁ。お楽しみはこれからだ!ってことなのかもしれませんね。

*1:きちんとキャラとして成立して登場した「大人」は唯の家の隣のおばあちゃんと、さわ子、それにさわ子の友人たち。家族では律の弟くらい。憂は作中の構成員なので除外