帰ってきたウルトラマン第33話『怪獣使いと少年』

BS11で何十年振りかに当エピソードを視聴して、軽く落ち込む。
このエピソード最初に観た時感じたことは「つまらない」でございました。当然ですね、子供でしたから。子供の私がウルトラマンのシリーズに求めていることは、ウルトラマンがいかに格好よく怪獣を倒すかでございまして、ドラマはそのための「刺身のつま」ぐらいの意味しかなかったのですから。
その後、もう少し成長した後で再放送を観た時の印象は所見の時とは全く違い、人の醜さに激怒したものでした。そしてその裏にある「差別」という問題を考えるきっかけになったり、救いのない物語に落ち込んだり。
で、今回観て落ち込んだ理由は2回目とは違って人という生き物の悲しさに打ちのめされた結果でございます。
差別した人間は鏡に映った自分自身に他ならず、そしてそれは聖人君子ではない大多数の人間そのものの本質でしかないのだと、数十年ぶりに気が付いたからでございます。
ここで描かれたものはそうした他者に対する無理解、許容しない心といった人の弱さそのもので、それは誰もが内包している悲しさでございます。
あの差別を受けていた少年も他者と交わろうとせず、心を閉ざしたまま別の世界に旅立つことだけを夢見ておりましたが、それも辛い現実からの逃避という人の持つ弱さではないでしょうか。
そういう弱さを突きつけられ、自覚して落ち込んでしまいました。
脚本を書いた上原正三さんにとってあれは虐げられた民族の呪いだったのかもしれませんが、38年も前(!)の作品は時間という「ヤスリ」にかけられてそうした個人の想いをそぎ落とし、しかし人の本質を描いたという普遍性を得たように思えました。
本当であれば不寛容な今の時代にこそこうした物語が必要だと思うのですが、反発が怖いテレビ局にはもうその覚悟はなくなってしまったのかもしれません。
あの少年が掘った穴から現れるのは宇宙船ではなく、隠ぺいした人の醜さそのものだとしたら、時々それを直視した自覚した方が宜しいのかもしれませんね。…子供向けの特撮番組にしては重すぎる内容でございました。