鋼の錬金術師 第55話『大人たちの生き様』

「これからこの世を背負って行く若者に、今この世を背負っている大人の、我らの生き様を見せんでなんとする!」
スロウス退場。殊の他あっけない終わり方でございましたが、まああの場面の暑苦しさ(笑)を引っ張っても何も出てきませんでしょうから、これくらいで納めておくのが適切でしょうね。
今回の「キモ」は大人たちはそれぞれが背負ったものの重さを感じながら、その重さに負けない生き方をするということ。逃げないで立ち向かう。それが責任ある大人の生き様だと。
アームストロング少佐に限ったことではなく、この作品に登場している軍人たちはあのイシュバール殲滅戦で心に大きな傷を負いました。マスタングやヒューズは人を傷つけないですむ国を造ろうとそこから歩き始めました。
アームストロング少将については不明なのですが、彼女の過去にもきっと大きな傷があるはずです。でも逃げません。逃げ出す訳には行かないのです。なぜなら彼等彼女等は皆軍人であり、理由はどうあれ背負った荷物の重さは自身の責任なのですから。
逃げ出さないで立ち向かい、歯を食いしばって耐え抜く。子供ならば逃げても良い。でも大人はそこでやせ我慢するわけですよ(笑) それが格好良い大人ってもんですから。
今回アームストロング少将が語った内容の一部はそうした生き方の決意表明だったでしょうが、若者云々辺りはテレ隠しではないかと疑っております。
別に若いヤツラに見て欲しいわけじゃないのだろうと。自分自身の生き方だから誰かに認めて貰いたいとか、見ていて欲しいなんてことではないのでしょう、でもそれを通りすがりの主婦(笑)に語るのは恥ずかしいですからね。
もちろん「若いヤツラの苦労を少しでも取り除いてやろうじゃないの」と観るのが素直な観方だと思いますが、大人の本心というのは中々表に出ませんからね。冒頭のエドマスタングの会話がそれを如実に表わしております。
地下の二人はともかくとして、地上の諍いは収束へ向かって・・・、と思っておりましたら真打登場ですか。う〜ん、大総統の相手がグリリン一人では荷が重過ぎるように思うのですが、はてさて。上手いところで以下次週。本作の構成さんは立派な仕事をなさっております。感心。