崖の上のポニョ

 今更感は強いのですがテレビで放送されたので視聴いたしました。本当に楽しい「総天然色漫画映画」でございました。
 公開当時「子供たちのために」という意のことを監督が仰ったように記憶しておりますが、これはむしろ「かつて子供だった者」のための作品のように感じました。
 母親のいない夜の不安、嵐の時の非日常の楽しさ、真っ暗なトンネルの恐ろしさ。血沸き肉踊るようなドラマがなくたって、子供の目から見ればなんだって冒険。毎日が冒険。
 宗介がポニョを拾い上げてこの作品ではファンタジーに入り込んで行きますが、世界では宗介でない誰かが何かを拾い上げて、一人が一つずつの小さなドラマを作っているのだという(監督の)優しい目線が見えたような気がいたしました。
 そしてそれは同時に、複雑な世界を必死になって作り上げている同業者への伝言のような気もいたしました。「ドラマなんて、そこら中にあるじゃないか」「単純なものにも奥行きはある」…うがち過ぎでしょうかねぇ。
 さて、「アニメーション」ですから「動き」が重要なのは当然なのですが、この「動き」という言葉には色々な意味がございまして、リアルで精密で実写のような「動き」もあれば、見たことも無いモノがありえない、しかしこんな風に「動いて」くれたら楽しいだろうなという「動き」もございます。
 で、この作品には中盤でポニョが海の上を宗介追って疾走するシーンが後者の白眉ですし、他にもたくさんそのような「ありえないものがあるように動く」シーンがございました。もう、それらを見ているだけでも楽しくて楽しくて(笑)
 また、ポニョを始めといたしまして「メタモルフォーゼ」が多用されておりましたが、気持ち悪くなるくらいグニャグニャ動く作画は、もしかするとこの作品が最後になるような気がいたしました。ああいったところに拘る監督はもう出てこないんじゃないかと。
 一方で、リサは両手のふさがった状態で家のドアを開けようとし、上手くいかなくて足で開けるシーンを始めとして、何気ない日常の人の動きをこれでもかっ!というくらい丁寧に描いておりました。
 こういう「虚と実」と申しましょうか、正確に描く部分と、想像力の限りを使って描く部分を同一作品内で観ることができるのが宮崎作品の楽しいところでございましょうか。さて、もう一回観ることにいたしましょう。