とある科学の超電磁砲<レールガン>第17話『夏休みのつづり』

「夏はオンナを狩人に変えるんです〜」
 …いや、小萌センセイに言われても(笑)
 水たまりに広がる波紋のシーンがA・B両パートの冒頭、風呂のシーンが3回、屋台の飲み屋のシーンとゲーセンのシーンが4回、そして入道雲が沸き立つ青空を始まりと終わりに描写しておりました。
 もちろん「学園都市」という閉鎖された空間を舞台にしておりますから、同じ背景が何度も登場することがあったといたしましても不思議はございませんが、今回の「繰り返し」は明らかに意図されたものでございましょう。
 同じ場面が繰り返されるのは別段目新しい演出ではございません。場所だけではなく時間も閉鎖し、同じことを繰り返しているようで、本当は少しずつ変わって行く様を効果的に見せる技法(もちろんこれだけではありませんが)だと存じますが、これが今回の「鉄装綴里の憂鬱」に最適な手法だっなと思いました。
 これまでに描かれた「佐天涙子」「固法美偉」とは違い、ある程度歳を取ってしまった「鉄装綴里」にとっての停滞はオッサンには良く分かる(笑) 年若い彼女たちの未来に対しての漠然とした不安は、本人たちが覚悟を決め、自分の足でそこ(未来)に行けばある程度解決してしまう悩みですが、大人になって現状の自分に疑問を持ってしまいますとまさに袋小路でございます。
 しかし大人ですからそんな「青臭い」悩みを口にすることもできず、ひとり悶々とした夜を過ごし居酒屋で酔いつぶれてしまうと(笑) 昨日も今日も同じことを繰り返し、そして多分明日もあさっても同じことをしているだろう自分に思い至ったとき、若ければ暴走もできるのでしょうし、その結果思わぬ場所にたどり着く可能性もありますが、社会人には…ねぇ(笑)
 様々な回答があるでしょうし、そのどれもが不正解かもしれませんが、本作は小萌先生のさり気ない台詞に救いを求めておりました。変わらないように見えても毎日は少しずつ変わっている。それに気がつくか気づかないまま過ごしてしまうか。無難ですが大人にはこれくらいが丁度良い回答かと存じます。
 その実践例として「立ちすくむ少年」鴻野江遥希を鉄装と絡ませ、少年は歩き出し大人は見送るという終わり方も、定番と申しますかテンプレと言いますか、でもたった20分のエピソードとしては良かったかと存じました。
 …それにしてもオッサン向けの内容でございますなぁ。この作品的にはどうなの?と、少しだけ心配になりました(笑)
 で、ハラペコ大魔王姫神はモブキャラだといたしまして(笑)、少女@花澤香菜さんは今後再登場するのでしょうか?ロケット(笑)の写真がよく見えませんでしたが、どこかで見たような気も致します。記憶力の衰えが…(笑)