獣の奏者エリン 第48話『リョザの夜明け』

 タイトルは「夜明け前」の方が相応しかったような気もいたしましたが、それほど今回のラストシーンに込められた思いが強かったということなんでしょうねぇ。
 先週の「蛙」はやはり「井の中の蛙」の喩えだったのでしょうか? 今週セィミヤが初めて外の世界で夜明けに照らされる広大な大地見て涙した場面を観ておりましてそんな風に感じてしまいました。でも先週の「喩え」を今週利用するなんてことはないでしょうか。
 「井の中の蛙」にしてもセィミヤにしても、自分の努力だけでは置かれた状況を打破することが出来ないわけで、だからこそ「運命」なのかもしれませんが、そのもどかしさが悲しい。美しいものを見て流した涙の「持って行き場」がないことがもっと悲しい。
 そして同じように「運命」によって「歴史の陰」に消えて行くイアルとキリクも悲しい。二人は戦うことなく、分かり合える場所に立つことも可能だったはずなのに「運命」によってあの場所で対峙するしかありませんでした。
 もっともキリクはエリンによって救われたようでしたから、ある意味では運命に対して「勝者」として逝かれたようでしたので、そこだけは救いだったかもしれません。イアルは・・・、来週以降に答えが出るので結論は保留いたしますが、現状でも呪縛からは解き放たれておりますので既に「勝者」なのかもしれません。
 もう一組、大公の兄弟シュナンとヌガンも同様でしょうか。もっとも彼らは自分の意志で生き方を決められるある程度の「自由さ」はあるので、セィミヤやキリク、イアルとは若干違うのかもしれませんが。でも大公の跡継ぎとして生きるように強制されているのですから、まるっきり自由だったとも言えませんね。
 今回はこれまで描いてきた登場人物たちの運命がギューっと収斂されてまいりまして、いよいよ終幕なんだなと寂しさが溢れる雰囲気満載でございまして、おじさんの胸は締め付けられてしまいました(笑)
 本来であれば劇中の「国造りの舞」の演出効果の見事さも褒め称えなければいけないのですが、多分誰かが褒めてくれていると思いますので(笑)割愛。いや、あれを詳細に分析するのは私には荷が勝ち過ぎますからね。ですがあれを「でっち上げた」スタッフには・・・、いえいえ今更このスタッフに感心なんてしませんよ。もう力量の程は分かっておりますからね。