化物語 第四話『まよいマイマイ 其ノ貮』

 アニメに限った事ではありませんが、時々音声を切って画面を眺める事がございます。殆どの場合さして支障はなく、お話の概要は掴めるのですが、本作の場合「音声なし」では全く内容が掴めません。
 意味を持っているカットと、まるで意味を持たない(であろう)カットや風景、そして文字だけの絵が交互に現れては流れて行く。画面上の情報から得られるものの少なさが意味するものはなんでしょう。
 原作小説は大量の文字に埋め尽くされているのだと思いますが、ではその全てが有効な情報かといえば、多分違うのでしょうね。大量の文字、それは大量の「ノイズ」を含んでいて容易に「情報」にたどり着くことができない仕掛けになっているのではないか? と、原作知らずが勝手に推測してみました(笑)
 この「仮説」が正しいといたしますと、原作小説の楽しみとは「作者が用意した大量の屑情報をいかに避け、本質を探し出すか」だと思うのですが、そういった小説を映像化するということは二話の感想のときも書いたことではありますが、確かに「映像化困難」なのこもしれません。
 で、冒頭の「本作の場合「音声なし」では全く内容が掴めません」に繋がるのですが、この作品の場合会話による情報も大量のノイズが含まれていて、しかし会話だけからしか情報を得られないとしたなら「絵に意味を持たせる事が会話のノイズを消し去る作業を阻害してしまう」可能性が高いことを恐れ、意識して絵の意味を取り払っているのではないか? と考えに至るのでした。
 でもこの判断は、一歩間違うとアニメーションとしての存在理由を全否定しかねませんから、監督は大胆な決断をしたのでしょうね。勿論これは私が誤読している可能性が非常に高いのですが(笑)
 本編。離婚した母親の元に辿り着けない「八九寺真宵」。それに付き合う「ひたぎ」と「暦」も不思議な空間に取り込まれて行くお話。完結してみませんとストーリー自体の感想は書けません。と申しますかそういうお話の仕掛けになっているようです。
 OP。某作品から放逐された板垣伸さん渾身の労作。「まよいマイマイ」シリーズを見事に表現しているように見えました。この演出を見ますと「上(この場合新房監督でしょうか)がコントロールさえすれば仕事はできる」人だと再確認。これがこのシリーズだけでしか観る事ができないとは、幾らなんでももったいない(笑) 正直このOP単体で商売になるレベルでございます。
 こういう「遊び」も含めて、監督はこの作品を完全に「手の内」に入れているのだろうと思いました。