シャングリ・ラ 第八話『口紅無残』

 好意的に解釈いたしますと、今回は國子と涼子が初めて邂逅して今後に含みを持たせ、そして國子が知らず知らずのうちに「ひとり」になって行く過程を描いていたのかもしれません。それはそれで達成されていたとは思うのですが・・・。
 「脱走」といえばカタルシスの宝庫、よほど下手なことをしない限り成功(「脱走の」ではなくて、作劇としてのという意味ですが)は最初から約束されているようなものなのですが、う〜ん。正味25分の番組でそこまで望むことは酷なのでしょうか。逃げ出す方の(この場合は國子)高揚感が足りなかったのか、それとも捕まえる側(涼子)の熱意が足りなかったのか。・・・両方のような気がいたしました。
 今回一番酷いと感じたのは協力者の大量虐殺の場面でございまして、あそこで國子と対峙する涼子の残忍さ、ひいては國子が相手をしなければならない相手はこれほど手強いのだという意図があったのだと思いますが、であれば音だけで処理するのではなく死体も見せなければ涼子の持つ恐ろしさを伝えるには不十分のような気がいたします。
 いや、これまで涼子の「サデスティック」な面は見せておりましたので本来あのシーンは不必要と思えます。ただ、上で書いた通り國子の帰る場所、仲間を喪なってしまったという意味においては必要なのでしょうが。・・・結局「脱走」のカタルシス不足が物語の起伏を殺いでしまって、「底」の部分にばかり引っかかってしまったからなんとも言えぬ「いや〜な」後味になってしまったのような気がいたしました。
 それもこれも今に至るも「主人公としての自覚を持たないように見える國子」のままにしていることが原因のように思えてなりません。早いとこ覚醒していただきませんと継続視聴することが辛くなりそうです。