屍姫 玄 第25話(最終回)『屍の果て』

 「屍」という既に死んでいる存在をもって「生きている意味」を問うといった逆説的なオチになっておりました。そして「戦いは続く」オチ、と(笑)
 個人的には「一〇八の嘘」の件は「実は一〇八体の屍を倒すと屍姫が不死の屍(この言い方も不思議なのですが)になってしまうというのも嘘で、屍姫を理解や信頼できなかった使役する側にとっては彼女たちの戒めのための方便であり、一方屍姫たちにとっては極楽(作中では「天国」と言っておりましたが、光言宗は仏教のようでしたから「極楽」や「浄土」の方が適切のように思っておりました)へ行けるという望みにすがる彼女たちの弱さ」で処理した方がすっきりしたかな?と考えてしまいました。
 それなら「縁」が切れても「信頼」や「不屈の闘志」といったもので「契約僧が選んだのではなく、自分たち(屍姫のこと)が契約僧を選んだのだ」という彼女たちの台詞に説得力があったのではないかと。・・・まあ、素人の思い付きなんですけどね(笑)
 赤紗の最後は「生者」も妄執に囚われるという実に当たり前の結論でございました。いや、生きているからこそ妄執から逃れられないのだと、ここでも逆説的なお話に帰結させている訳でございますね。こうして見渡しますときちんと完結しているのですから問題はなにもありません。
 ですが当初の「怪獣大戦争」のノリが全く鳴りを潜めてしまった事が残念でした。原作がどういう状態なのか分かりませんが、綺麗に終わらせようとしたため物語の「破壊」が中途半端だったような気がいたします。ここが會川先生の(會川さんに全責任がある訳ではございませんが)良い所でもあり悪いところなのかなぁ。
 やはり原作ものなら完結した作品を、そうでないのなら入れ物だけを拝借して好きに作らせる、一番良いのはオリジナルな作品を作れる環境を整備するということを考える時期のような気がいたしました。
 屍姫は大勢(登場した屍姫以外にも)いるようなので、もう少し長いシリーズでそれら一人一人が描かれるともっと楽しかったのだろうと思いましたが、これはこれで楽しませていただきましたので十分でございます。・・・、でももっと観たかった作品でした。