鉄腕バーディーDECODE:02 第12話(最終回)『BEFORE LONG』

 なるほど、幼い頃のバーディーを救ったのはジャンプしたナタルだった訳ですね。そしてナタルは消え、事件は有耶無耶になってしまった、と。ゴメスもカペラも小夜香も登場しただけでございましたから、ナタルのその後も含めてこれはリターンマッチが必要な終り方だと感じました。
 最終回単独の感想といたしましては、とにかく「よく動いた」ということに尽きるでしょうか。こういう作画も非難されたのか分かりませんが、個性を前面に押し出したこの作画は好ましかったと書き残しておきます。なんと書けば適切なのか分かりませんが、大昔の東映動画のアクションに近いものを感じた、というのが一番近いかな?
 現在のアニメの大半は、一分の狂いもないデザインで動かすというやり方が主流になっておりますが、「カメラ」も同時に動くというこうした作画の場合「ブレ」や「歪み」も込みである方が「スピード感」と「爽快さ」が増して見えたように感じました。良いものを見せていただきました。
 ナタルの復讐は終わりました。ですがこの復讐は未完でございました。いえ、ヴァリックとモスが生き残ったから、という理由からではなく「目的」を遂げられていなかったからとうい理由で失敗でもなく未完。
 過去「ルルーシュ」や「岩窟王」の時も書いたような気がいたしますが復讐は「手段」でしかありません。復讐によってしか手に入れられないもの、それは作品によって様々なのですが、それが「目的」で、まあ色々あるでしょうが最終的には「自己の魂の救済」というのがそれかと。
 「親友の死」から始まって当初は「あだ討ち」という見方も出来ましたが、やがてそれは己の出生にまつわる秘密とそれを生み出した世界への憎悪へと変わりました。ですからここでバーディーによって止められなかったとしたら、ナタルの復讐は終わる事のない連鎖の中に沈んでいったことでしょう。
 バーディーとナタルの闘いの最中「早宮」の学園祭での発表を被せた演出は見事でした。「憎しみでは誰も救えない。愛こそが人を救える」という主張は奇麗事過ぎるように感じますが、それしかないのも事実なのです。立ち止まって後ろばかりを振り返っても得るものは何もない。生きている人は前に進むしかないのだと。
 バーディーとの闘いとつとむとの会話でナタルは復讐を中断しますが、これではナタルの魂は救われません。これならいっその事死んだほうがまし、というものでございます。死んでしまえばもう復讐に囚われることもなくなりますが、生きていればやり場のない「想い」だけがナタルの身を焦がしていくことになってしまうから。・・・残酷な結末でございました。
 第一シリーズが「つとむ」のお話、第二シリーズは「バーディー」のお話だったと思います。しかし「ニ心同体」というのがこの作品のコンセプトであるのなら当然第三シリーズで「二人」の活躍が描かれなくてはなりません。そのための伏線もあったように見えましたし。その時行き場を失ったナタルの想いを着地させて欲しいものでございます。