止めておけば・・・

まさにニュータイプ!? VFXファンタジー最新作『大魔神カノン』
 昔の作品のリメイクはメリット・デメリット双方がございますので一概に否定はできないのですが、これまでリメイクされた作品で旧作を上回ったものにお目にかかった事がございませんので老婆心ながら止しておいた方が宜しいのではないかと(笑)
 そもそもPが

「(オリジナルの『大魔神』は)人が生きていく中で、祈りや願いといった“思い”を強く持ち、その思いを他者に伝えることの大切さを教えてくれる作品だと思います」

 などと見当外れなことを・・・、いえ、どのように感じるかは各人の自由ですからそのことを論(あげつら)う事は慎まねばなりませんね。確かに2作目3作目などはその傾向が強かったように思うのですが、「大魔神」といえば1作目に尽きる訳で、その本質は「神は祟るもの」ということでございます。
 あの映画の中の「大魔神」は決して正義のヒーローなどではなく、どちらかと言えば「祟り神」でございます。それ故封印され眠りについていた訳で、「大魔神」自身は「国取り」が行われ領民が苦しんでいようと「我関せず」でございました。
 しかし領民はそれを信仰の対象にし、国取りをした新しい大名が面白く思わず破壊を命じ、その像に触れた。「触らぬ神に祟りなし」の禁忌を犯してしまった訳ですね。「大魔神」が怒ったのは自身の眠りを妨げた人間に対してであって、哀れな領民にではございません。
 怒り狂った大魔神はまず新領主を配下ともども残酷になぶり殺しにします。それが終わった時次に魔人は領民にも怒りの矛先を向けようとします。その時高田美和演じる先の領主の姫「小笹」が、自らの命と引き換えに怒りを納めてくださいと願い出る・・・、そこで大魔神の怒りは収まる訳ですが、穿った見方をしますとそれすらも「単なる神の気まぐれ」にしか見えません。
 「大魔神」とはかように「人の醜さ」「人の無力さ」をおもい知らさせる作品だったわけでございます。決して「祈りや願いといった“思い”を強く持ち、その思いを他者に伝えることの大切さを教えてくれる」作品などではなかったのです。
 ただ、続編の「大魔神の逆襲」や「大魔神怒る」はそうした不条理に振り回される人間のドラマではなくマイルドな味付けになっており、その意味ではPの言った事は間違いではございません。ただ、その結果映画としての質は1作目を超える事ができず、シリーズ自体が尻すぼみになったのも事実です。
 人にとって都合の良い「神様」が描きたいのなら「大魔神」の名を汚すような概念で作品を作る事は謹んで欲しいものだと、最果てのブログで書いてみました。