鉄腕バーディーDECODE:02 第7話『WE WILL MEET AGAIN』

 バーディー記憶編の後半。なるほど、つとむが(視聴者も)見ていた「ヴァイオリン」はバーディーのフィルター越しのヴァイオリンだった訳ですね。メギウスはバーディーの寂しさが見せた幻影云々と申しておりましたが、バーディーを庇って戦った時に見せたヴァイオリンの優しさがバーディーの記憶に影響を与えたとも考えられるかもしれません。
 バーディーと思い出を共有したことで、つとむと彼女の絆がまた強くなったというエピソードだったと思いました。…そして話題だった(笑) 作画を拝見。う〜ん、想像以上だったとも書けますし、演出だったように見えたとも書けますし、本当に微妙でございます。
 Bパートはバーディーが初めて実戦経験した部分だから、その高揚感やヴァイオリンを喪ったことによる悲しみが記憶の混濁を招き、それを不明瞭な「絵」で表現したとも取れます。作画を眺めておりますと「動き」は見事でスピード感が溢れていましたから、単純化した絵がイコール「作画崩壊」とは思えませんでした。
 が、この意見が正しいとしますと戦闘開始以前のヴァイオリンやスケルツォそしてバーディーの「絵」が、そしてラストカットのつとむとバーディーの絵柄がそのままだったことの説明がつきません。特に現実に戻った後の二人はいつもの絵柄でなければ、です。
 本作のアクションシーンは通常「キャラクターシート」に添った絵で描かれておりましたから、「そうでない」絵で表現していたのだから「なにかしらの演出意図」があったと考えるのですが、残念なことに「そうできなかった理由」(予算と時間)が容易に想像できる状況できますので、これは永遠の謎かもしれません。
 もっともだからといって、この一事を持って本作の評価が棄損されるものだとは全く考えてはおりません。むしろ「珍しいものを見せて頂いた」と思ったくらいです(笑) あの落書きのような絵でも動かせるアニメーターの技術に心の底から感心…できませんか?(笑)
 そのような理由で個人的には作画に関してはさして不満はなかったのですが、肝心のアクションシーンで「赤色」が使われたことの方が不満でした。観難いんですよ、赤。高いモニターならもう少し観易かったのでしょうか。それの方が残念でございました(笑) どうせあの絵でやるのなら「黒と白」だけの線画だけで表現しても良かったように思いましたが、それだと放送局に納品拒否されたかもしれませんね(笑)