獣の奏者エリン 第7話『母の指笛』

 先週正式な「お別れ」を済ませておりましたので、今週の「本当の」お別れはそんなに悲しくはありませんでした。もしかすると冷血漢なのかもしれません(笑)
 そうした冷血漢な目で観ておりましたら、若干疑問と申しますか気になった事がありましたので書き残しておきたいと思います。村に役人がやって来てソヨンを取り調べる。これは問題ありません。ですが独断で「闘蛇の裁き」にしてしまったのはどうなのでしょう。もちろんそこまでの権限があの役人にあったのなら問題はないようですが、実は「問題」は残ります。
 大公という権力者の「最強兵器」の取り扱いなのですから、容疑者の処分を含めてもっと高位の者、あるいは大公自身が裁決を下すのが当然のように思いますし、少なくとも闘蛇の突然死の原因が分かるまで「容疑者」を生かしておく方が理に適っているように思われます。少なくとも私が大公なら独断でこの件の関係者を処分したこの役人も処罰いたします(笑)
 この作品でソヨンの死というものが「エリンの自立」そして今後のエリンの成長に及ぼす影響に欠かせない要素であるでしょうから*1、それ自体は特にどうといったことはないのですが、そうであるからこそその「死」にまつわるエピソードに説得力が不足していたことが残念でございました。
 まあ、こんなことを考えていたのもソヨンが崖の上に引き立てられたところまででございまして、ここからエンディングまでは画面に釘付けだったのですが(笑) 親を思う子供の心、子を思う親の気持ち…。昔は「母子もの」というジャンルが沢山ありまして(ry
 ソヨンがどれほどエリンと一緒に逃げだしたかったのか、しかし村の人間やなによりエリンに罪が及ぶ事を恐れてわが身を犠牲にした彼女の気持ちが十分に伝わってまいりました。…もう少し「絵」が動いて頂けたらもっと良かったのですが、贅沢は敵でございますね(笑) 来週は「家なき子エリン」でございます。

*1:幽閉という方法でソヨンを退場させるという手もあるでしょうが、この場合作品は違った物語になってしまったでしょうし、それは原作者が書きたいテーマに繋がらないかもしれませんので、この「if」は支持いたしません