時をかける少女

 2年前の公開時は地方在住者には酷な展開しかしていただけなく、DVDが出たらレンタルしようと思っていたのですが、完全にタイミングを逸してしまい、1年前のTV放送時は録画(裏のサッカー中継を見ていました)したのですが、これも「そのうち・・・」と思っているうちに今回の放送になってしまいました(笑) したがいまして、今更感溢れる感想でございます。
 まず「TVで観るものではない」という事。CMで寸断されたものは監督の意図したものとは別なものになってしまっている可能性が高いので、「情報」として確認の意味で観るのであれば良いのでしょうが、最低限DVDでノーカット・ノートリミングのものを観なくてはいけないと、観終わった直後の感想はそういうことでした。もちろんベストは劇場で観ることで、あの美しい絵は劇場で観てこそ意味があったことでございましょう。
 次に「17歳の時に観たかった」と思いました。いえ、別に16歳でも20歳でもかまわないのですが「多感な年頃」の時に観たかった。おっさんにとってはノスタルジーを感じさせていただきましたが、これは若い方に向けての細田監督の強いメッセージが感じられまして、そういうところが「羨ましい」のと同時に、私にはもうこのメッセージを受け止める「体力」や「感性」は残っていないことが残念でなりませんでした。
 主人公の真琴は「タイムリープ」の能力を手にして、様々な場面でそれを使います。本当に無駄に。前半はその描写をコミカルに描いておりますが、そのことが後半のシリアスな展開につながって行きます。このへんのお話の流れの処理は無駄が無く見事でした。が、書きたいことはそのことではなく、「タイムリープ」でやり直す(それまでのことを「なかったこと」にする)ことよりも、泣いたり笑ったりしながら少しずつ「経験」を積み上げ成長することの大事さが伝わってきたことでした。こうしたストレートなことを若いときに誰かに言って欲しかった!
 最後は、本作では「恋」を主題にしておりましたが、これは安易に選択したのではなく(「原作がそうだから」映画でもそれを選択したのだとは考えておりません。この辺は監督の意思だと思っております)、人間が成長するとき一番大事な、そして一番複雑な感情だからだと思います。上手くいったりいかなかったり、上手くいっても実はその先はなにも見えない。実に不安定でございます。儚く、だからこそその感情は美しい・・・、書いていて恥ずかしくなってきましたのでこの話はこのへんで止めますが、真琴が千秋に向かって「全力で(未来へ)行くよ!」と宣言するシーンは涙が零れたことは書いておきます。でも何故おっさんがこうした事を書きたくなるかは、若い方が25年くらい後になってこの作品を見返した時に理解できると思います(笑)
 作画や美術に関しては細かいところまで神経が行き届いていて、申し分ありませんでした。これは私のイメージの中にある良いマッドハウスでございました(笑) 返す返すも劇場で観られなかったことが残念でなりませんでした。反省しなくてはいけません。