電脳コイル『最後の夏休み』

人は死んだらどうなるのか、その心がどこに行くのか、本当の事は誰も知りません。
今週のお笑いパートは学校のプールサイドでのフミエちゃんの傍若無人ぶり(相手が弟のアキラくんでなくてもその行動は一貫しております)と、勢揃いしたサッチー軍団のコードネーム(「ポチ」「タマ」「チビ」「コロ」「ミケ」)に見る「おばちゃん」のネーミングセンスの駄目っぷりといったところでした。・・・笑える部分がどんどん少なくなってきました。
ハラケンはカンナと喧嘩別れしたまま死別してしまったという事に引きずられたままだし、イサコは兄を助け出すために「あちら」に行くための鍵である「キラバグ」を憑かれたように集めてまわっているという、傍からみれば人として壊れかかっている状態で、小学生なのにハードな生き方を選んでいます。「おばちゃん」が心配するのも頷けるのでございます。
作中ハラケンは「子どもはもっと本物の何かと遊んだ方がいいね。ちゃんと手で触れる何かと・・・」と医者に忠告されるシーンがあったのですが、監督はこの台詞を肯定的な意味を持たせて語らせたのか、それとも「本物でもなく、手で触れなくても大事なものはある」と否定的な意味合いを持たせていたのか現段階では分かりませんでした。と申しましょうか、この辺が本作のテーマのひとつだとは思うのですが。
さて、元々この作品自体はシリアスなお話だと思いますが、子供たちの様々な日常からイリーガルとの遭遇、野良イリーガルの生態を描いた番外編、そしてクライマックスへと監督の心地よい手練手管はその辺をあまり感じないで物語に没頭できるように作品を構成していたのだなぁと、今さらながらに感心しております。
私が創作物を読んだり観たりする時の基本姿勢は「上手に騙してください」でございまして騙される気満々なのですが、磯監督は上手に騙してくださる腕をお持ちのようです。