スペース☆ダンディ 第26話(終)『ネバーエンディングダンディじゃんよ』

ダンディ、神になることを拒否しふくらはぎを選ぶの巻。
と云う事で最終回はド派手な展開で久々の作画の暴走(実際はコントロールされていてそう見えただけですが)を拝見できて満足。
その暴走も場面毎に色合いを変えるといった念の入れようでして、アニメーターたちの競演といった趣でございました。

  • この時代にこのアニメを制作した意味

今のアニメが「原作」に縛られて自由を失っているように見えますが、それはストーリーだけのことではなく各エピソードにおいても同様でございます。…何事においても例外は存在しておりますが。
統一性という名の下に個性が殺されている現状は決して好ましい状況でないのは、次世代のクリエーターの芽を摘んでいるからに他なりませんで、許容する環境がなくなってしまえば新しいものは育ちませんからね。
金田にしろ板野にしろあの当時だってそのお仕事が暴走と呼ばれていたのは、彼らの作画が決してその作品に合っていなかったからですが、当時の先輩諸氏はそれを許して(と言うか認めさせたってことかもしれませんが)くれ、ファンも「新しい才能」に触れて狂喜して支持する度量がございました。
なによりそうしたものを包み込むだけの自由度がある作品が存在していたということなのでしょうが、昨今は原作を消化するだけに汲々としている印象でございます。

  • ダンディを登場させれば後は何をしても自由

この作品においてダンディはあらゆる次元に存在する男でございまして、毎回登場していたダンディが全て違ったダンディであり同一の存在でもあるという設定だったのも「自由度」を確保するために渡辺監督が考えた結果なのでしょう。
まだこれだけの仕事をしてくれる人材がこの業界にはいるし、外部の人間を引き入れることでもっと魅力的な作品を作ることは可能。それを示してくれた意味は大きいですし、後年この時代の「カタログ」としての意味もある作品でございました。
さて来週からはダンディのいない日曜日になってしまいますが、どこかで別の「ダンディ」と会えることを期待しながら暫くは喪失感に浸ると致しましょう。
様々な顔のダンディを見せてくれた全てのスタッフに感謝を捧げます。
…色々書いてきておいてなんですが、個人的なベストエピソードは何のヒネリもない「旅は道連れ宇宙は情けじゃんよ」と最後に書き残しておきます(笑)