キャプテン・アース 25(終)『キャプテン・アース』

大団円。
ラブストーリーの最後は愛する二人の口づけというお作法を順守、…分かってらっしゃる。
この作品は「生きる」ということは何かをするために与えられた時間のことで、無限に与えられたことで目的を持てないのならばそんな時間に何の意味があるのだろかという人生賛歌と理解させて頂きました。
だからこそ若い君たちは為すべきことを探さなければならないし、無為に時間を送ってはいけませんよ、できればその時間を共にしてくれる友人や愛する者を探して下さいよ、と。
…残り時間の少ないおっさんにはキツイメッセージなんですけどね(笑)
さて、残念だったことがいくつかございましたが、最大のものは父と子の物語が後半希薄になったことでしょうか。
ダイチの父タイヨウが自分の命を捨ててまでダイチたちの未来を守ろうとしたことへの息子の答えが最終回の「分かった」だけではもったいなかったですね。
最近では珍しい少年が主人公であり、そして父親が彼の道を確保したという構成でしたので、ダイチが父親を乗り越えるドラマも見ることが出来るのかと淡い期待をしていたのですが、そういう古いドラマは用意されず残念でした。
これは父親の存在が現実世界でも希薄になってしまったことが無関係ではないでしょうし、だからといってこの作品で必ずしも描かなければならないテーマではございませんのでスタッフには責任はございませんで、ただの一個人の感慨でしかありません(笑)
そしてもう一つの「残念」は後日談が欲しかったかなぁという点。
人間として生きる事を選択した遊星歯車減速機たちのその後、アカリとテッペイのその後。さらにあのオカッパの少女がその後のダイチとハナとどう関わってくるのか。
すべてを見せる必要はないのですが、余韻という点ではもうひとつ欲しかったように感じられてことが惜しかったかなぁ、と。
とは申しましてもハナも死なずに済みましたし地球も救われ遊星歯車減速機たちも新しい「人生」を送ることになりましたので不満のない後味の良い終わり方で良かったです。
終わりよければすべてよし。
うん、やはりおじさんはそういう物語が大好きだったようでございます(笑) 五十嵐監督と榎戸洋司さん以下スタッフの皆様に感謝。