惡の花 第13回(終)

仲村の部屋に入った高男はそこで彼女の書いたノートを読んで、というお話。
俺たちの戦いはこれからだっ!
…変形ですけどね(笑)
で、何と戦うのかと云えば澱んで死んでしまったように見える世間と、その事に何の疑問も抱くことなく生きている人間たちと、なのかもしれません。
自我を確立して行く過程で必ず通る道、などといった知ったような感想でお茶を濁そうかとも思いましたが(笑)、これ地方に暮らしていると実感だったりするんですよねぇ。
変化は望まない、そのくせ大都市に対する羨望と嫉妬を抱え、でもその事を口に出すこともなく。まさに「クソムシ」と申しますか「肥溜め」と申しましょうか。
でも変化するためには膨大なエネルギーが必要で、個人でそれを為そうとしても叶わず無力感で一杯になって「クソムシ」と化した自分が居る、と(笑)
もし仲村さんの気持ちが「此処ではない何処か」に救いを求めた、といった私が上で書いたようことならば共感できちゃうんですよ。地方在住者の閉塞感という意味で。
もっとも今回の後半、フラッシュバックで見せられた「描かれないであろうこの後」のような展開になりますと、それはそれで共感できないレベルのお話になってしまうのですが、ね。
なのでここで終わらせたことでこの作品は「出口の見えない世界から脱出すべく足掻く青春の物語」として成立したと考えております。その問いに対する答えが出ておりませんので当然「救い」などは用意されませんが、それは各人が考えれば良いことかもしれません。
原作を読んだことがないので比較はできませんし見当外れの感想だったような気も致しますが、この作品の(OPとEDも含めて)醸し出す雰囲気は間違いなく長濱監督のものでございましょう。
当初は古色蒼然なロトスコープという手法に違和感を感じたのですが、この作品をこの内容で作り上げるにはこういったレトロな手法が最適だったなと、観終えた後に感じました(笑)
この手間のかかる手法で長濱監督の意図を支え続けた制作スタッフの努力に感謝したいと思います。