氷菓 #22(終)『遠まわりする雛』

「生き雛祭」の傘持ちをえるに頼まれた奉太郎のお話。
「生き雛行列」はググりましたら飛騨高山で4月3日に実際にある行事のようで、一生に一度でいいからこの目で見たいなぁ。
それはともかく、今回はタイトルが作品の主題のようでございまして、「おひなさま」の「雛」と幼鳥を指す「雛」が懸かっていたようでございますね。
田舎に住んでいるとよく分かるのですが、名家は地縁血縁というものに縛られておりまして、そこから抜け出すのは並大抵のことではございません。これは「家業を継ぐ」というものとは根本的に違いまして、ある意味「人身御供」と似た様なものだと理解していただくのが適切でしょう。
千反田家というものがどういうものかはあまり描かれておりませんでしたから完璧に理解するのは難しいのですが、とにかくえるはその檻から抜け出すことは難しいようですし、本人もその気はなさそうでした。
ただそんな境遇の中で精一杯生きようとしてしつつも、どこかで広い世界に憧れていたことは描かれておりまして、「遠まわりする」とはこれから彼女が自分の居場所を作るための長い長い旅を指していて、それまでえるは「雛」のままなのだろうと推測いたしました。
その過程で奉太郎はえるに力を貸し続けることができるでしょうか? …わたし気になります!
まとめのようなもの
日常の中には数々のミステリがあるけれど、ほとんどの人間はその事を気にするでもなく日々を送っております。その中でほんの少しばかりの好奇心と探求心を持った者だけが「見えるもの」の陰に隠れている「真実」を探し当てる事ができるのだという作者の着眼点は見事でございました。
その「真実」は必ずしも爽快感や達成感を得られるものではなく、そもそもそれらは明らかにしたところで誰の得にもならないものばかりでありむしろ明らかにしない方が良かったのかもしれません。
でも気になったものをそのままにして素通りするには彼らは若すぎるのでございます。
ありふれた日常に隠れた真実が彼らの未来を決定付けたり、広い世界に繋がっている可能性もある。そのためにも若い人には感度を上げて常に何事にも興味を持って頂きたい、…それが作者の望みでもあり、「わたし、気になります!」に込められたメッセージではないかと考えるに至りました。
そうして迷える彼らが生き生きと描かれた本作はその事を上手く伝えられていたように見えました。
また、文章を映像化するにあたりまして「京アニ」という現状考えられる最高の制作会社を得たことも本作にとっては幸せな出会いでございました。
細かい部分まで気を配った作画と大胆なイメージの画、様々な色彩による演出など、平坦になってもおかしくない本作を見事にアニメとしても成立させておりました。
原作は奉太郎たちが2年生になったばかりのエピソードが最新だそうですが、彼らが卒業するまで描かれる事を祈り、またいつかアニメ化させることを願いつつ、本作に関わった全てのスタッフに感謝したいと思います。