AKB0048 Stage9『キモチリレーション』

到着したツンドラスターでのライブはDES軍の厳重な警戒で難航、しかし心まで凍てついているようなツンドラスターの住民に希望の灯となるライブを届けるべく奮闘するゼロゼロメンバーたち、というお話。
以前も書いたような記憶があるのですが、まあおっさんボケが始まったのでその辺は曖昧(笑)なので気にしないで書きますが、この作品を視聴する上で最大の難点は「現実のAKBを架空の世界に取り込んだところ」でございましょうか。
完全なフィクションとしてであればこの作品で描かれている「綺麗事」は、アイドルや歌の持つ力の理想論として立派なものなのですが、そこに「AKB」という現実の影が見えますと途端に「綺麗事」の嘘が鼻についてしまうのでございます。
いや、それを含めて「アイドル映画」なのかもしれませんが、…情報の少なかった昔であればアイドルたちの現実に目を背けて騙されてもいられたのですが、情報があふれている現代におきましてアイドル稼業も楽じゃないと申しますか、騙されても構わない部分が見えてしまうものですから大変だなぁ、と。
もっともアイドル側(いやプロダクション側でしょうか)にも問題があって、「身近なアイドル」を売りにするものだから神秘性が犠牲になってしまい、「嘘」や「綺麗事」が存在する余地が無くなっているのかもしれません。
この「余地」こそがアイドル映画での創作の生命線だったようで、現代のアイドル映画(本作はアイドルアニメでございますが)におきまして観客との乖離と申しますか距離に繋がっているかと。
上でも書きましたが「希望としての歌」「たとえ一瞬でも殺伐とした日々の生活の中に潤いを与えてくれるアイドルの果たす役割」といった今回描かれていた綺麗事は心を打つ内容だったのですが、次の瞬間「綺麗事」に過ぎないと夢を醒まさせてしまう「AKB」という存在が…。
この内容で「モデル」と申しましょうか「素材」も完全オリジナルであれば河森監督の代表作(笑)になったかもしれないのにと、少々残念でございます。