氷菓 #5『歴史ある古典部の真実』

氷菓編」終了。
氷菓」の謎につきましてはネタバレ過ぎるので書きませんが、なるほどこれは切ないお話でございますねぇ。
英雄などというものは往々にしてこうしたものでございまして、都合よく祀り上げられて美談にしてしまう。その裏側で当の英雄は血の涙をながしていたことを誰も知ることもなく。
えるが好奇心を持ったために叔父の過去を暴く結末に至ったので、やはり過去はそのまま眠らせてしまったおいた方が良かったんじゃないかと考えたのですが、少なくとも45年前の時を越えて真実を「理解」してくれる人ができたというのは、えるの叔父さんにとっても救いになるんじゃないかと考え直しました。
勿論そんな考えは間違っているし高慢だとは分かっております。45年前関谷純は救われることもなく失意のうちに青春を送った(…いや、青春そのものが失われたのでしょうが)訳でございまして、今更誰かが真実を知ったからといってどうなるものでもございません。ましてその事を関谷純に伝える術もないのであれば、これが救いになるはずもない。
一方で、
えるが好奇心を発揮せず、あるいは奉太郎の中途半端な「解答」で満足して十年後に気が付いたとしたら、今度はこの二人も救われない事になる。そして何も知らないで学園祭を楽しんで青春を送る現役の生徒、その後に続く未来の生徒も同じように救われないのでございます。
であれば真相にたどり着き、文集という形で明らかにし、正しい「歴史」を表すことはえると奉太郎にとっては救い以外のなにものでもございません。そしてそれこそが関谷純が「氷菓」という名前に込めた「祈り」であり(「呪い」かもしれませんが)、「解かれる事」を45年間待ち続けていた彼の「想い」だったかと。
関谷純に直接伝わらなくても、この謎が解かれた瞬間彼は救われたと考えても間違いはないでしょう。
同時に、
45年前関谷純が体験した「悔しさ」を解き明かしたえると奉太郎には、彼が経験できなかった「バラ色の青春」を送らなければならない「義務」が生じたようにも見えまして、う〜ん上手いなぁ、と。
他に文集のイラストが何故「豚」ではなく「ウサギ」だったのかですとか、そもそも奉太郎を導いていた姉の「折木供恵」は何者?という問題もあるのですが、まあいいや(笑)
こういった「文章中心」の作品をアニメ化した時に感じる「画の平坦さ」を全く感じさせない京アニの実力を見せつけられております。