BLOOD-C 第12話(終)『わすれじの』

全ての謎が明らかに、そして物語は次のステージへ。
この最終回を視聴しておりまして、その手際よい演出ですとか格好良いレイアウト、(小夜の)アクションシーンの動きなどを見るにつけ、どう考えても語られた物語に対してお話が長すぎたように感じてしまいました。
序盤の緩やかな変化の描写は、その後のカタストロフを効果的にするための手法であったでしょうし、人気のない街、違和感のある日常描写などはその役目を十分に果たしてはおりました。
ですがそうした手法を使い語られた物語が、その手法に見合っていたかと考えますと…、微妙だったかな?
もちろん本作の「役目」が劇場版への露払い、プロローグである以上、これ以上作品への深入りが出来なかったのでしょうが、それにいたしましても語られた中身の「水増し感」に虚しさを感じてしまいます。
上記の「穏やかな変化」にいたしましても、確かにこれはテレビシリーズという比較的贅沢に時間を使えるメディアだからこそ成立しているのですが、水島監督の腕をもってすれば半分以下の「尺」で同等以上の時間経過を感じさせる事が出来ると思うのですよ…、根拠は無いけど(笑)
そもそも「フィルム」は無限の時間を有限の中に閉じ込め、瞬間に永遠を写し出すことのできるメディアなのですから、均一な時間の流れを描くのなら、そこに特別な意味が込められているべきでもあり、それは一回限りの特別な使い方をしないと効果は薄れてしまうんじゃないでしょうか。
まあ誰が悪いとかといったお話には与しませんが、とにかく劇場版でオトシマエをつけて下さることを祈るばかりです。…もっとも田舎じゃ上映されないでしょうからレンタル待ちなんですけどね(笑)