あの日見た花の名前を僕達はまだ知らない。 第10話『花火』

それぞれの想いを抱えたまま「花火」は打ち上げられた、けれど「めんま」はまだそこにいた、というお話。
6話「わすれて わすれないで」の時に「じんたん」が「めんま」に向かって「自分のことを考えろ!」と叫んだシーンがございまして、あの時はいつも(死んでまで)他人の事ばかりを考えている「めんま」を不憫に感じた「じんたん」が、「もっと自分のために生きてもいい(死んでいるのですから変な書き方ですが)」という想いから彼女のために叫んだとばかり考えておりました。
ですが、今回のお話を視聴しているとそうとなかりは言えなくて、「めんま」の優しさ、…博愛?の前に自分のことしか考えていなかった己の「あさましさ」を恥じ叫んだんじゃないかと考えてしまいました。
「じんたん」が「めんま」を消したくないのも、「ゆきあつ」「あなる」「つるこ」「ぽっぽ」が「めんま」を成仏させたいのも、全部自分たちの都合のようにしか見えませんで、そんな気持ちで打ち上げた「花火」で「めんま」が成仏できる訳ないよなぁ、と悲しい気持ちで視聴しておりましたら、「めんま」は成仏していなかった(笑)
あの「花火」は空の上の「じんたん」の母親と、母親を喪って悲しい気持ちの「じんたん」のために「めんま」が考えた、ただそれだけの純粋な気持ちから起こした行動だったのでしょう。…そこに「めんま」の「利己」があるとすれば「大好きなじんたんのため」というこれまた可愛らしく真っ直ぐな気持ちだけだったでしょうしね。
この可愛らしい純粋な魂を「じんたん」たちは救う事ができるのでしょうか?そして「めんま」の純粋な気持ちは「じんたん」たちを救えるのでしょうか?
次回最終回!