創聖のアクエリオン 第20話『天翅の翅音』

急に作品の「色」が変化いたしました。個人的にはず〜と前回までのようなお話でいてくれた方が楽しいような気もいたしますが、終わらせるにはそれなりの「準備」が必要という事なのかもしれません。
子供天翅の登場の意味がよく分からなかったのですが、無邪気さの象徴としての意味を背負わされていたようでございます、…卑怯だなぁ(笑)
人が何の気なしに虫や植物を「殺して」しまうように、他の動物を喰らって命を繋ぐことにさして疑問を抱かないのと同じように、フタバが人間を殺すことにはその程度の意識しかございませんでした。
そのフタバが捕えられ人間によって研究のために殺されてしまう。この行為自体も人間にとっては大きな意味はございません。だって分かりあう種族ではないのですから。
ここに二つの種族の絶対に分かりあえない断絶がございまして、双方の不幸が描かれていたかと。
この件(くだり)で人の姿が描かれていなかったのは上手かった。淡々とフタバが殺されてしまうことで、「分かりあえない」「無慈悲」という部分が強調されていたように見えました。
ただ、フタバ(あるいは天翅族)と人間が、お互いが言葉を持っていながらコミュニケーションが取れないシーンがあれば、上記の更なる強調ができてその悲惨さと哀しみが浮き彫りになったように思うのですが…。
それと、ここまでに虐げられている人間側の描写があれば双方の立場の違いが鮮明になったようにも思うのではございますが、抜け落ちている2回分(震災での放送中止と停電で視聴できなかった回)にそうした描写があったのかもしれませんので、これについては断定することはできません。
やはりシリーズものはただの一回も見逃してはいけませんね。