そらのおとしもの フォルテ 第11話『幻想哀歌(ムサベツ)の果て』

カオス編終了。
ところどころカットの繋ぎが不自然に見えたところ(イカロスたちがカオスから飛んで逃げたところなど。もうワンクッションあれば問題はなかったと思いますが、説明するためのカットを差し挟む「尺」の余裕がなかった事は視聴していて分かりましたが)もございましたが、全般的には空中アクションが楽しくて満足いたしました。…やっとアストレアの「近接戦闘」も見れましたし(笑)
さて、
本作の持ち味である「ギャグとシリアスのバランス」を著しく崩してまでカオスを登場させた意味とはなんだったのでしょう。
多分「人形」であるエンジェロイド・イカロスが「心」を得て「ひと(心を得たものとして便宜上そう書きますが、厳密に言えば「ひと」である必要はございません)」へと変えるために必要だったのだろうと推測。
本当であればニンフや、今シリーズで登場したアストレアがその役目のために配置されたのだと思っておりましたが、ニンフは前シリーズの最後に羽根と引き換えに一足早く「こころ」を得ておりましたし、アストレアは「残念な子」(笑)でその役目は負えそうもありませんでしたしね。
それに同じ立場で「こころ」を見つめるよりも、正反対の立場で同じものを見た方がより明確に対象物が浮かび上がろうというものでございましょう。であるからのカオスだったと思います。
ただですね、それであるのならカオスの意志というものがもっとはっきりしておいた方が宜しかったようにも思ったり。「邪悪」という一点で差別化を図った訳ですが、彼女の「邪悪さ」は「無邪気さ」でしかございませんから、それだとイカロスと同じでございますからね。
本当の「邪悪さ」で殺戮を楽しむようなキャラであれば、とも考えたのですが、それだともう「そらのおとしもの」の世界とは合い入れない作品になってしまいますね。この辺が落としどころとしては適切だったのかもしれません。