鋼の錬金術師 第63話『扉の向こう側』

ここ数回の圧縮率は凄いなぁ。リンとグリードの別れ、ホムンクルスの話、ホーエンハイムの息子たちへの愛、そして訪れた穏やかな死など、「拾いたい」ものが多すぎます。…私の手には余るなぁ。キャパシティ・ダウン状態でございます(笑)
ホムンクルス、扉の向こうへ帰還
彼(?)が最初に望んだことは「フラスコの外に出ること」でございましたが、それは何物にも縛られない自由を求めるという至極真っ当な希望だったと思います。それが「人を超え神に至る」という思いに変質した、あるいは最初からそれが目的であったのか、遠い過去のエピソードでございますので思い出せません(笑)
そのためにクセルクセスの人々を生贄にしたところから彼の道は歪んでしまった。*1 もしあの時、「俺に世界を見せてくれ」とホーエンハイムに願ったら、そう夢想せずにはおられません。
ホーエンハイムならきっと「フラスコの中の小人」と共にクセルクセスを脱出し、世界を歩き回ったのではないでしょうか。そしてホーエンハイムの寿命が尽きたところで二人とも満足して穏やかな死を迎えることができたのではないでしょうか。
…ですが彼は最後までそうであったように、誰も信じることがありませんでした。自分の分身であるホムンクルスたちでさえも。誰の力も必要としなかったのではありません。
彼はその目的のために、誰よりも多くの人の命を必要としておりました。ではその代価として彼は何を支払ったのでしょう?等価交換の原則が貫かれている世界である以上、彼はそのことに注意を払っていなければならなかったのに。
「お前はその答えを見ていただろうに」と門番が語っていたのは、エドやアルたちだけの事ではなくて、その道のりがどんなに遠く細く、時にはたどり着くことなく倒れたとしても、人間は自分の手足と頭脳、そして意志を使って目的に向かって歩むことを指していたのだと(私には)見えました。
結局、他人の命を代価に自分の望みを叶えようとした間違いに最後まで気付かなかったことが、彼の不幸だったようです。本当に欲しいものは等価で「交換」するのではなく、自分自身の努力でしか手に入れることはできないのですから。
今週の白眉
全てが終わって一人静かに最愛の妻トリシャの墓の前で彼の永く辛い旅も終わりました。その顔は満足そうに微笑んでおりましたが、彼が最後に「やっぱり死にたくねぇって思っちゃうなぁ」と呟きました。
この解釈は「死への恐怖」ですとか「その想いがあるから人は生きていられる」あるいは「人として当然の反応」など色々あると思いますが、私としては「未練はないと思っていたが、ようやく心を通わせることができた息子たちと過ごしたい、彼らの成長をもっと見ていたい」という親としての望みが生じたからだと思いたいです。
本当に人の「強欲(グリード)」には際限がございません。でもそれがあるから人は強くもなれるのですから、悪いことばかりでもございません。
いかに生き、いかに死ぬか。
見事な死に様でございました。が、その死に様は息子たちにも見せて欲しかったなぁ。…これは私の「強欲」でございますね。

*1:直接の責任はクセルクセス王の「不死」という分をわきまえない望みではございましたが