Angel Beats! [EPISODE,03] My Song

Girls Dead Monster(ガルデモ)」のバンドリーダー岩沢のお話。天使エリア再侵入作戦を決行するゆりたちはガルデモに陽動作戦を命じるが、いつものゲリラライブではなかったためにライブ会場に学校側が介入してきた。そしてステージ上で岩沢は、というお話。
タイトルは「My Song」よりも「Swan Song」の方が適切*1かと思いましたが、これだとタイトル見ただけで内容が分かってしまいますね(笑)
今回も大仰な作戦の割に内容自体は「しょぼ」かったですが、これが(ギャップ)この作品の持ち味だとすればこちらが慣れれば良いだけですので問題はございません。ただ、岩沢の生前の「生き方」が今回もあまり・・・、これで「泣け!」と言われましても、ねぇ(笑)
当ダイアリーでは折りにふれ「運命に立ち向かう登場人物」を賛美しておりますが、これは私の嗜好の問題ですから仕方がありません(笑) 最近の作品ですと「エリン」ですとか「鋼」の登場人物たちがそれに相当いたします。
ですから本作も本来であれば大絶賛して不思議はないのですが、どうもそこまで入れ込めません。何故なんでしょうか?
運命とは往々にして理不尽でございます。そして人の力は運命を変えるには小さ過ぎます。だからこそ運命に立ち向かう登場人物の生き様に人は惹かれるのではないでしょうか。
本作も「ゆり」は神の所業に腹を立て反抗を試みております(この場合「神」は具現化した「運命」と考えても間違いではないでしょう)。今回の「岩沢」も、恐らく次回以降の登場人物も運命に弄ばれたと感じていることでしょう。
しかし「運命」は理不尽ではあるけれど「悪意」はありません。ですから運命そのものに叛旗を翻しても意味はありません。戦うべき相手は「運命」に見えて、実は自分自身の「生き方」なのです。
自分の意志ではどうにもならないものを前にした時、どのように生きたか、どのように死んだのか。創作物において「運命を相手にする」とはそういうものだと考えております。
ちなみにこの場合の「勝利条件」は「自分の信じるままに生きた」で、例えば作戦行動中子供を助けるために死んだドイツ特殊部隊の兵隊さん*2も広義において勝者でございます。
本作の場合この勝利条件も曖昧模糊としておりまして、神に立ち向かうのは良いといたしまして、その神に勝てば満足し「成仏」するのでしょうか? ですがそれですと神の思うツボですから、この世界に永遠に逗まりつづけることが彼らの望みなのでしょうか?
ですが今回岩沢は「自分の歌」を手に入れ満足して「成仏」いたしました。これは岩沢の「勝ち」なのではないでしょうか?少なくとも私にはそう見えたのですが。それとも「誰かの言うまま成仏なんてしたくない。自分が納得した時成仏するんだからね!」と言うことなのでしょうか?これもある意味「神の意志」に従っているのですから「勝利条件」ではございませんね。う〜ん、矛盾に満ちた物語でございます。
つまるところ神に勝って何がしたいのか良く分からないので入り込めないのかもしれません。それともうひとつ入り込めない理由が思い付いているのですが、長くなりましたので今回はこれまでにいたします。

*1:白鳥の歌。作曲家や演奏家の生前最後の曲や演奏を指す。死の間際の白鳥が、最も美しい声で歌うという言伝えからこう呼ばれるようになった

*2:名作「鷲は舞い降りた」の中のエピソード