テガミバチ 第二十五話(終)『精霊になれなかった者』

第一期最終回。ハニー・ウォーターズでの事件を解決(?)した帰り道、ラグとニッチの前に現れたのは行方不明だったゴーシュ・スエードとそのディンゴのロダの二人だった、というお話でした。
弊害
原作を消化していた初回から途中までを見た後、原作本を購入。これがいけませんでした。アニメだけを観ていた時には感じなかった「物足りなさ」が大きくなって、特にオリジナルのエピソードでその思いは一層強くなってしまいました。色が付いて、動いて、魅力的な声まで用意していただいたというのに、ね。
不満の原因を探ろうと毎回試みてはいたのですが、どうしてもストーリーの方ばかりに気がとられまして本質として不足しているものの正体まで気が回りませんでした。が、今回のエピソードを視聴しておりまして「ここかな?」という部分を発見、・・・したかも。

上の画像はニッチが「マローダー」になったゴーシュのディンゴ・ロダと出会うシーンですが、この後

「お前、雇い主を守るディンゴではないの?」
「?」
「迂闊に危険な水を飲み、肝心なときに助けられないなんてディンゴ失格ね」
「私はとある者のディンゴ。名はロダ」
「・・・」
「僅かな時、共に過ごしましょう」(赤文字はロダの台詞)

という会話につながります。問題なのは3行目の台詞と4行目の台詞の間に「間」が全くないことでございます。
1行目と3行目の台詞はロダが初登場してニッチのディンゴとしての資質を問うと同時に、ロダ自身がどういう役割を演じるキャラであるかを、視聴している者に簡素かつ明確に表現している台詞だと思います。
それを4行目と6行目のが受けて、二人のディンゴの立場とこれから先の展開を予感させるための台詞のように思えます。
この場面は「ひとかたまり」に処理されておりましたが、本来3行目と4行目では台詞の意味と申しましょうか、前後の流れと申しましょうか、ふたつの違う状況が混在していた場面ですから明確に分けておいた方がスマートだったと思うのでございます。
ちなみに原作ではどのような処理になっていたかと申しますと、3行目まではロダの小さな姿が描かれており、ページが変わって4行目の台詞と共にロダが大ゴマでお披露目という流れでございます。原作者の浅田さんはページが右から左に流れるだけで一瞬の間を作っており、この計算された演出によって見事な場面転換を見せてくれております。
本作の場合こうした「間」の不足が見られまして、それは「ここで感動して下さい」という場面で顕著だったような気がいたしました。ほんの僅か「タメ」を作って頂けたなら全く違った印象になったと思うのですが、それが無いばかりに作品が一本調子に見え、結果的に心の深いところに響くものがなかったかな、と。
このお話は、上手くすればオリジナルの素敵なお話をたくさん作れると思うので、二期ではそういうお話を見せていただきたいものでございます。・・・もっとも私が二期を視聴できるかどうかは「Gyao」さんの経営状態に懸かっているのではございますが(笑)