テガミバチ 第十九話『病気のテガミバチと少女たち』

「ゲボマズスープはだめだ、ラグが死ぬ」
 熱を出して寝込んでしまったラグを看病するニッチとシルベットの珍騒動を描いたエピソード。個人的にはニッチが出ずっぱりでしたから満足・・・だったのですが。
 「ラグが熱を出してしまい動けない」というところからスタートするのでしたら、「ニッチ、一人でできるもん」も観たかったですし、「ニッチとシルベット、仁義なき戦い」なんかも(笑)観たかったです。
 それはともかく、今回一番足りなかったのは「ニッチのラグに対しての絶大な信頼と愛情」の表現だったでしょうか。このテーマでエピソードを作るのでしたらそこに一番光を当てて作った方が、原作の「番外」として意味があったように思えました。
迂回ルートとして最低限守って頂きたい事
 ニッチがラグに栄養をつけようとステーキを「焼く」と宣言する場面がございましたが、今回のエピソードではステーキは必死に逃げ出しました。が、原作を読んでいる限り、そしてこれまで視聴してきた限り、ここでのステーキの正しい反応は「ニッチに命ぜられるまま横たわり焼かれる事を待つ」だと思います。
 ステーキがニッチに対して何故恭順の意を示し続けるのかは、視聴者各人の解釈に違いはあると思いますが、しかしどう反応するかについては異論は無いと思います。作劇において必要だから、絵的に面白いからといって作品の登場人物として明らかに違うと思われる性格描写をしてしまうのはどうでしょうか。
 こちらの思っていない反応を登場人物にさせるのであれば、それ相応の理由を示して頂きたかったですし、迂回ルートを作る上で最低限守っていただきたいものだと思います。本作の迂回ルートのエピソードで感じる違和感の大半はここに起因していると思います。
迂回ルートの難しさ
 絵筆(ラグを始めとする登場人物)があり、キャンパス(「テガミバチ」という作品世界)があり、あとは絵を描くだけですが、このキャンパスには厳しい制限がございます。特定の色(「リバース」関係のお話にはまだ(?)触れる訳にはいかない)を使ってはならない、ある種の風景(物語の根幹に関りそうな話題、具体的にはラグの母親や「瞬きの日」など)も描いてはならないなどでしょうか。
 今回のエピソードであれば「ニッチがラグの代わりに盛大に泣く」ことで作品を締めたくなりますが、それは原作の制限(「摩訶」の子は感情の爆発が成長の引き金になるとの記述がある)から無理なのでしょう。
 こうした本来この作品の一番大切で面白い部分を描く事無く(できない)物語りを進行する難しさは、素人の私にも容易に想像できます。ある意味ではオリジナルな作品を作るよりも大変なことだと思います。ではございますが、そこをなんとかしてこその「プロ」だと思いますので・・・、頑張ってください。
 この作品はアニメを観てから作品が好きになり、原作漫画を購入いたしました。私は観ている殆どのアニメの原作を読んでいないので、今まで原作ファンがアニメに異議申し立てをしている気持ちがよく分かっていなかったのですが、今は分かるような気がしてまいりました。ふ〜。