夏のあらし!〜春夏冬中〜第13話(終)『君たちキウイ・パパイア・マンゴーだね。』

 3回目(?)で、本当の最終回。
 Aパートで数年後の「はじめ」と「あらし」の別れを描いておきながら、OP明けの本編では「フルーツ爆弾シリーズ」第3弾で笑いに転じ、Cパートははじめとあらしの「今」を描いて締めでございました。一見したところなかなか意図するところが分からなかったのですが、冷静になって考えますとホンの少しでしたが見えたものもありましたので書き残しておくことにいたします。
 「未来」は変える事が出来ます。「過去」は変える事が出来ません。・・・本当でしょうか? この作品では繰り返しこの事を扱っておりました。そして今回笑いのネタとして扱っていた中にその答えが隠されていたように見えました。
 「過去」の出来事自体は変える事はできません。ですがその「出来事」をどう捉えるかによって「過去」の意味は違ってくる、そう訴えたかったように思えてまいりました。「ああした過去があったから(今)こうなってしまった」と考えるよりも「その過去があってこそ今がある」と考える方が素敵ではないか、と。
 「禍福はあざなえる縄の如し」「人間万事塞翁が馬」・・・少し違うかな(笑) 未来は無限です。「今」の選択によって確定しなかった未来は無数にあることでしょう。それと同じように「過去」もまた「受け止め方」で無限にあるのだという・・・、それがこの作品とどう繋がるかと問われますと答えに窮しますが(笑)
 方舟にいるメイドさんたちは全員過去の亡霊です。彼女たちには「無限の未来」は存在しません。その代わり「閉じられた時間」は無限にございます。一方「はじめ」と「潤」には未来はあるけれども時間は有限です。そのふたつの時間が「13歳の夏」に方舟で出会った意味とはなんだったのか。まあ、それはひとりひとりが考える事なのでしょう。
 本作はその内側に「青春」という「一瞬」を切り取って永遠を見ようとした素晴らしい物語があったような気がいたしましたが、残念ながらスタッフが韜晦してしまいましたのでそこに至らなかったように思えました。以前も何回か「照れずにやって」と書きましたが、正面切って「青春」を描いていただきたかった。あらしや他の女の子たちが理不尽に奪われた未来を描いて欲しかった。たとえそれが原作から乖離したとしても良いじゃありませんか。
 この作品を「ギャグ」「コメディ」としてではなく、「青春物語」として見ていた一視聴者として最後の苦言は「切なさ」が足りなかった、これに尽きます。この「切なさ」が(少なくとも第一シーズンには存在しておりました)もう少し効いていたなら、「傑作」とまでは申しませんが「佳作」としてもっと評価されたと思うんですが。
 DVDの売り上げが芳しくなかったようですから3期はなさそうですが、そうなりますと「あらし」同様私にとっても(彼らに再び会うといった)未来は奪われたままで終わってしまいそうです。それだけが悔しいところでございます。

 それこそ未来は不確定でございますから、このメンバーに未来永劫会えないとも限りませんし、その可能性があるのなら待つのも悪くはないかもしれませんね。