うみねこのなく頃に 第6話『EpisodeⅡ-Ⅰmiddle game』

 新章開幕。え〜と前章が1986年10月4日の物語で、今回は1985年12月譲治と紗音のデートシーンから1984年10月の紗音が鏡を割るシーンを経て1986年8月に嘉音がベアトリーチェと対峙する場面に至るまでが描かれていて、そこから先の物語という認識でとろしいのでしょうか?
 前章と地続きの世界であるといたしますと、封印されていたベアトリーチェが蘇った原因は紗音で、少なくとも紗音と嘉音のふたりはその存在を「六軒島大量殺人事件」以前に知っていたということになる訳ですが、これがどのような意味を持つのか皆目見当がつきません(笑)
 本作の場合一度全部通して視聴し、その後見返してから感想を書いた方が宜しいのかもしれませんが、まあ見当違いの感想を書いて恥をかくのも一興かもしれません。と申しましても今回は導入部でしたので特に書き残しておくことはありませんでした。
 個人的には戦人と真理亞が出てこなくて不満ですとか、何かが弾けたような描き方に驚愕した、などといったことが素直な感想。あの朱志香の歌うシーンに込められた「日常からの脱出」という意図に・・・考え過ぎですね。
 ところで、公式サイトに置いてある「碑文」の内容を「ボー」っと眺めておりましたら少し違和感が(笑) 「第一の晩に、鍵の選びし六人を生贄に捧げよ」「第四の晩に」以下「第八の晩に」までに対応する死者の数と、実際に死んだ数が合わないことがその原因でしょうか。
 この碑文の内容ですと、死者の総計は11人か12人(最終的には「誰も生き残れはしないだろう」なのですが)なので一人(若しくは二人)余分なんだよなー。「第二の晩に、残されし者は寄り添う二人を引き裂け」の解釈をどうするかで死者の数が違ったりするのですが、はてさて。
 今までこの二人を「右代宮絵羽・右代宮秀吉夫婦」のことだと考えていたのですが、あの二人は「頭を抉りて」殺されていたのだから「引き裂け」には対応していないですし、他の予言は「殺せ」と書いてあるのに第二の晩だけ「引き裂け」ですから、これは意味が違うのかもしれません。
 「情報は全て出してある、それを読み取る事が出来るか否かはあなた自身の問題である」ということなのかもしれませんね。