東のエデン 第6話『東のエデン』

 「東のエデン」とは咲が参加していた大学のサークルの名前だったことが判明。ただし、その名前の由来については今回語られることはございませんでしたし、もしかすると作中で語られることはないのかもしれません。重要な意味があるのなら何らかの形で説明されるでしょうし、そうでないなら放置されてしまうでしょう(笑)
 今回は朗と「東のエデン」のメンバーが交流を持ったということがメインのお話でした。平澤と朗、立場は違うのですが目指すもの・・・と申しましょうか「根」は似ているようです。朗の「日本(若者)ニート化計画」を聞いたときの平澤は、口では否定的でしたが心情的には同意していたように見えましたから。この出会いで朗は仲間を得たと考えてもいいのでしょうか? 次週が楽しみです。
 特にこれといった(大杉くんの「ジョニー」が危ない以外は)展開はないエピソードでしたが、何故かとても悲しい気持ちになってしまったエピソードでした。「悲しい」より「切ない」のほうが適切なのかもしれませんが。
 朗と「みったん」が花火を仕掛け、それを咲たちが眺めている。花火が「豆柴」の顔を描き、皆が笑いながらそれを見つめる。穏やかで優しい時間が流れる、まるで永遠に続く時間のように。でもそれが幻想であることを視聴者の私は知っている、なぜなら朗の参加している「ゲーム」に幸せな結末などないことにもう気が付いているから。
 「上がりを決め込んだ大人(と呼ばれる者たち)」への抵抗とは社会を動かしている「システム」そのものへの抵抗ですから、そのシステムに勝ったところで朗の「システム」が次の「システム」に取り込まれてしまうだけですから、当に「シジフォスの岩」そのものでございます。
 それでも戦わなければならない理由が若者にはある、そしてそれは間違いなく「負け戦」だから表面上「幸せな結末」なんかありえない。でも「結果」を求めること自体が既に「上がりを決め込んだ大人」の考え。若者は結果を求めている訳じゃない、挑戦することに意味を見つけ出すのだ! ・・・だからこそ余計にこの平穏な描写が美しく感じられ、同時に哀しく感じてしまうのかもしれません。この「時間」を永遠に喪って取り戻すことの出来ない「大人」にとっては。
 このエピソード限りのことなのかもしれませんが、これは神山監督から若者たちへ向けた「エール」「叱咤激励」のような気がしてまいりました。立ち上がれ、立ち向かえ、と。その意思があるからこそ掛け替えのない時を過ごす権利を手にすることができるのだ、と。
 思い出に生きることのない若い方にはどうといったことのないエピソードなのかもしれませんが、「おっさん」はテレビの前で涙を堪えながらこんなことを考えてしまいましたとさ(笑)
その他
 「ジュイス」が滝沢朗には親しみを込めて、近藤には嫌悪感、火浦には包み込むような、そして白鳥には恐れのような感情を抱いた声の調子で携帯の持ち主の性格を現す手法が面白かったです。監督の指示もあるのでしょうが、純粋に声だけの出演のCV玉川 紗己子さんの演技が印象に残りました。