東のエデン 第2話『憂鬱な月曜日』

 家の視聴環境では辛いアニメでございます(笑) 最低でもHDDレコーダーは欲しいですね。とにかく疲れます。
 展開される物語の核心「救世主」とは一体なんなのか、そして次々に浮かんでくる謎「セレソンシステム」(「選抜」と言う意味でしょうから12人の中で誰か一人だけが「救世主」になるという意味でしょうか?そして「12」という「使徒」と同じ数字の意味は?)とは? 「何故滝沢は記憶を消したのか」「携帯にチャージされている金の出所は」「打ち込まれたミサイルは何処から?」などなど、それらを考えることは放棄いたしました。つまるところそれらは「仕掛け」であって「本質」ではない!・・・と考えた訳ではございません(笑) 少しはそう思ったりもいたしましたが。
 ですが、そちらのお話(謎解き)がメインであれば「森美咲」というキャラは取り立てて重要なキャラではありませんし、むしろ(営業的意味合い以外では)登場させる必要はないと思える訳です。彼女がいない方が「サスペンス」としては整理ができて良かったのでは、と。
 ですがこの考えが間違いであることは自分でも分かります(笑) その最大の根拠は「神山監督がそんな意味のないことをするはずがない」という、それだけだったりするのですけれどね。
 今は「滝沢朗」と「森美咲」のたどり着く場所、「咲」の存在する意味の方にばかり関心が向いている次第でございます。監督の作り出した物語に身を委ねてしまうことが一番正しい視聴姿勢のような気がいたしております。
 で、一番上のお話ですが、とにかく「描かれていることの全てに意味があるのではないのか?」と強迫観念にとらわれてしまいまして、例えば「朗」の持つ携帯のディスプレイに映し出される文字にもなにかしら意味があるのではないか、背景に書きこまれたポスターにも意味があるのではないか、と。確認するためビデオテープでの「停止」「再生」の繰り返しは面倒ですし、それ以前にビデオの解像度では辛いです(泣)HDDレコーダー欲しいなぁ・・・。